ここ最近は、昔ほどには日常に音を鳴らし続けていない気がします
それこそ以前は、音楽依存症かというくらい聴いてました。
独身の頃なんて、深夜だろうが何だろうが聴き放題でしたからね
毎日毎日、今日は何を聴こうか?、と音楽を選ぶのが常で、
いま、自分は一番何を聴きたいだろうか?を自問して
たとえ何も思い付かない時でも、そんな気分の時にだって聴きたい音楽があるはずだ、と、CD棚を舐めるように睨んで、悩むことが楽しかった。
音が鳴ってない時間を惜しむかのように、時間の間を接いで、少しでもたくさんのCDを聴こうとしていました。
静寂を音楽で執拗に埋めて、それこそ音楽を愛する態度だと思っていた節すらあります。三十代半ばまでずっとそんな調子でした。
結婚してからは、そんな生活も少しだけ変化しました
まぁ、相変わらず音楽に依存はしてるのですけど
連れ合いと一緒にいることで、独身の時のように、部屋で無秩序にステレオを鳴らす機会は自然と減って、
《音楽が鳴ってない時間がある》、という状況も、自然と日常に戻ってきたのです。
すると、当たり前のことですが、音が鳴っていない時間にこそいろいろ考えることが出来たりして、
これはこれで悪くないと思うようになりました
そう、今までだって、考え事をする時、音楽が鳴っていても結局聴いちゃいなかった、ということに気づいたのです。
《音楽は音のない所から聴こえてくる》と早川義夫さんは言ってます。
《周りの音楽を一切聴かないようにすれば、あなたの身体の中から自然と音楽は産まれてくる》と
復活した早川義夫にどっぷりとハマっていたのも、調度この頃でした。
今では意識して自分から音楽を消して、音のない時間を過ごすことがあります。
そんな時に、たまには思い立ってギターを掴んだりもします(掴まない時もある)
あまり深くは考えていません
音楽が産まれてきたらいいなー、と思うのですが
スイッチのオンオフなら、今はオフな気分です
mathis
それこそ以前は、音楽依存症かというくらい聴いてました。
独身の頃なんて、深夜だろうが何だろうが聴き放題でしたからね
毎日毎日、今日は何を聴こうか?、と音楽を選ぶのが常で、
いま、自分は一番何を聴きたいだろうか?を自問して
たとえ何も思い付かない時でも、そんな気分の時にだって聴きたい音楽があるはずだ、と、CD棚を舐めるように睨んで、悩むことが楽しかった。
音が鳴ってない時間を惜しむかのように、時間の間を接いで、少しでもたくさんのCDを聴こうとしていました。
静寂を音楽で執拗に埋めて、それこそ音楽を愛する態度だと思っていた節すらあります。三十代半ばまでずっとそんな調子でした。
結婚してからは、そんな生活も少しだけ変化しました
まぁ、相変わらず音楽に依存はしてるのですけど
連れ合いと一緒にいることで、独身の時のように、部屋で無秩序にステレオを鳴らす機会は自然と減って、
《音楽が鳴ってない時間がある》、という状況も、自然と日常に戻ってきたのです。
すると、当たり前のことですが、音が鳴っていない時間にこそいろいろ考えることが出来たりして、
これはこれで悪くないと思うようになりました
そう、今までだって、考え事をする時、音楽が鳴っていても結局聴いちゃいなかった、ということに気づいたのです。
《音楽は音のない所から聴こえてくる》と早川義夫さんは言ってます。
《周りの音楽を一切聴かないようにすれば、あなたの身体の中から自然と音楽は産まれてくる》と
復活した早川義夫にどっぷりとハマっていたのも、調度この頃でした。
今では意識して自分から音楽を消して、音のない時間を過ごすことがあります。
そんな時に、たまには思い立ってギターを掴んだりもします(掴まない時もある)
あまり深くは考えていません
音楽が産まれてきたらいいなー、と思うのですが
スイッチのオンオフなら、今はオフな気分です
mathis