【天馬空を行くには、運動不足(PC・携帯扱い速度も)】(2011年9月1日ヤホー本館)
【浪花の濃い旋律を徒然なるままに】(2013年4月23日)
2002年10月13日、レコードの名店≪ワルツ堂≫倒産報道。各店舗の前では貼り紙に唖然ボー然だらけ
それから、10年余り経った
【An Die Musik (音楽に寄せて)】(2011年5月18日)
≪ワルツ堂≫堂島店のなれの果てが、≪Waltyクラシカル≫
画像上、カウンター前にいるのは
アタクシを見つけるや、隣のカフェ座席へ引っ張って行き(何も注文せんかったけど)
「何で倒産したか、教えてくれ~」(知ってる限り教えたやろ)
ワルツ堂閉店時に号泣した、日本ワーグナー協会会員
もお泣いてへんよって、彼は放置しといて
【記憶の旋律を残す楽譜代わりに】(2011年9月2日)
「先生、3年ぶりくらいかしら。お元気そうでヨカッタ♪」
「どこまで頑張れるかな。発電所が動くのは見届けたいですよ」
…先生を長生きさせるには、発電所は止まったままの方がいいのか?
うんにゃ、発電所に関係なく、先生には是非とも長生きして頂かねば!
大震災前まで無関心に近かったくせして、エラソーに付け焼刃反原発主張する連中よかやッ
この画像は、旧≪Walty堂島≫最終日に撮ったもの
現店舗と同じ大阪駅前第1ビル内、さあ!湯を入れた☆カップ麺出来上がる前に着く距離にあった
旧店舗が閉まっちゃった理由?
【因果は巡る自分の末路に】(2010年12月5日 03:17 Yahoo!Days)
全公開日記だから、これでも抑えたのよ。真実は、友だち限定日記に残し、本館にある
友だち登録申請する、承認して読ませろ?他の限定日記まで読んだら、厭世感に覆われるよ。受け付けま宣言
≪ワルツ堂≫が、毎日大阪会館にあった時代から通っていた
気がつけば、楽屋でタバコ吸い、店の舞台裏に通じていた
いま現在、当時の記憶を引っ張り上げてる最中
その中より一つ
ベルリン・ドイツ・オペラ(Deutsche Oper Berlin)はベルリンにある歌劇場。旧西ベルリンでは唯一の歌劇場であった。
1919年にシャルロッテンブルク・ドイツ歌劇場として設立。以後名称がたびたび変わり、1925年にベルリン市立歌劇場、1933年にベルリン・ドイツ・オペラ、1945年に市立歌劇場、1961年に再びベルリン・ドイツ・オペラとなる。
歴代の音楽総監督としてブルーノ・ワルター、フリッツ・ブッシュ、フェレンツ・フリッチャイ、ロリン・マゼール、ゲルト・アルブレヒト、ヘスス・ロペス=コボス、ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス、クリスティアン・ティーレマン、レナート・パルンボらがおり、2009年からドナルド・ラニクルズが芸術監督に就任する予定である。また音楽総監督に就任が決まっていたが着任しなかった指揮者として、1990年のジュゼッペ・シノーポリ、2001年のファビオ・ルイージなどが挙げられる。1963年にカール・ベームとマゼールを指揮者として初来日。日本への欧米歌劇場引っ越し公演としては初めてであり、ベーム指揮の「フィガロの結婚」「フィデリオ」のライブ録音が残っている。
代表的なレコーディングとして、オイゲン・ヨッフム指揮でオルフ「カルミナ・ブラーナ」やワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」、カール・ベーム指揮でモーツァルト「フィガロの結婚」(日本公演のライブ盤とその数年後のスタジオ録音盤がある)、シノーポリ指揮でヴェルディ「ナブッコ」「運命の力」などがある。
なお、ベルリン・ドイツ交響楽団は歌劇場付属のオーケストラ(ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団)とは別の団体である。
( Wikipedia:『ベルリン・ドイツ・オペラ』より引用 )
下線引いた部分に追記すれば
ちょいと、ハインリッヒ・ホルライザー指揮ベルクの♪ヴォツェックも録音残ってるぞ
1993年ポニーキャニオンが発売したCDあるやないか
CD発売はされんかったが、同じく日本初演となった、ワーグナーの♪トリスタンとイゾルデも録音はある
ヴィーラント・ワーグナー演出だっけ?ロリン・マゼール指揮には違いない
Elisabeth Grümmer, The Countess' Solo Scenes, Mozart: Le Nozze di Figaro(Live, Tokyo, 1963)
1963年10月23日、♪フィガロの結婚より、アルマヴィーヴァ伯爵夫人のアリア
スタジオでなく実演で、当時としては最高の状態のステレオ録音ね
ドイツ名花の一輪、エリーザベト・グリュンマー、声は固めだが、気品充分
国際的キャリア誇る傍ら、素顔は料理が得意の家庭夫人と、真に優秀なキャリウーマンであった
「日本への欧米歌劇場引っ越し公演としては初めて」
それまでにも、ウィーン国立歌劇場アンサンブルの来日、NHKが招聘したイタリア歌劇団などはあったが
欧米勢は歌手や指揮者だけで、オーケストラや合唱は日本勢が担っていた
現代では当たり前の劇場丸ごと民族大移動は、ベルリン・ドイツ・オペラが最初なの
東京・日生劇場のこけら落とし公演
1963年いうことは、翌年に控える東京五輪の絡む、日本の景気右肩上がり時代の文化交流の一環?
ライヴ録音聴くと、当時の日本のクラシック聴衆が純朴であったの伝わるわね
「わ~、ベーム先生の生指揮だ♪」みたいに、神様仏様を拝む感じの有難がりぶり
全身耳状態にして、本場のみが持つクラシック音楽の真髄を体感していたというか
現代でも、日本のクラシック聴衆が真面目な部類に入るのは、海外演奏家から評価されるけど
『TBS=東京ブラボーサーヴィスの略』、逆に恣意的なブーイングで自分の教養を誇示したい輩など
妙にスレちまった面も見られるのとは、隔世の感ある
某バス歌手大先生、いまは亡き某へっぽこテナー上がり総監督、この世と草葉の陰でよーく聞いとけ
前者は、あるオペラ日本初演時、「○○さんは頑張っていたから」と主演歌手を擁護した
後者は、ある舞台にブーイング飛ばした聴衆に向かって、「ブーイングは止しなさいと」命令した
前者よ、仕事頑張るのはプロとして当たり前の話、出来不出来を評価されるのも仕事の一つだよ
後者よ、ブーイングも恣意的政治的なものでなければ、感想表現の一つだよ
「君の意見には反対だ。だが、君が物言う権利は死んでも守る」
名前忘れたけど昔々のフランス人の偉いさんの言葉、それを理解する者だけだ
個人の自由だ、民主主義だ、それは議論出来る国民にのみ許される
三十路過ぎて自分探しの旅人とか、何とも没個性なのが多い国に、議論なんて出来るの?
綺麗事を謳いながら、ガチンコ勝負無理な頭悪い自分の身を守るため、気に入らんものは潰すための
自由をフシダラの正当化道具としか扱えない、腐れ現代ニッポン人の言い訳すんじゃねえッ
1963年、東京、ベルリン・ドイツ・オペラ引っ越し公演へ戻ると
Fritz Wunderlich,Erika Koth,Herman Prey Rossini Il barbiere di Siviglia 1959
Mozart: Don Giovanni, Berlin, 1961(In German) 3 part
Erika Köth (September 15, 1925, Darmstadt - February 21, 1989, Speyer) was a German operatic high coloratura soprano, particularly associated with the roles of Zerbinetta and Zerlina.
Grave of Erika Köth in the Alter Friedhof (old cemetery) in DarmstadtKöth began a musical studies in Darmstadt with Elsa Blank in 1942, and after an interruption resumed them in 1945. She made her stage debut in Kaiserslautern as Philine in Mignon, in 1948, and then sang in Karlsruhe (1950-53). She made her debut at the Munich State Opera and the Vienna State Opera in 1953, and at the Berlin State Opera in 1961. She appeared regularly at the Salzburg Festival (1955-64), as the Queen of the Night and Konstanze and Sophie, and in Bayreuth (1965-68), as the Woodbird. She also made guest appearances in Milan, Paris, London, etc.
Her repertory included: Susanna, Zerlina, Sophie, Despina, Lucia, Gilda, Stravinsky's Le Rossignol, and The Rake's Progress.
She had a small voice of great agility with a range extending remarkably high.
She can be seen in the role of Rosina in a complete German performance of The Barber of Seville with Fritz Wunderlich, Hermann Prey, and Hans Hotter, and in a German performance of Don Giovanni, with Dietrich Fischer-Dieskau and Josef Greindl.
( Wikipedia:『Erika Köth』より引用 )
フリッツ・ヴンダーリヒさん、夜這いかけて階段から転落死、ホントだったら笑うぞーだ
レポレッロ、ご主人様のおヤリになったオンナの数記録してるなんて、いつ寝てるのさ
太る前のピラール・ローレンガー可愛いわ~
じゃなくて
エリカ・ケート、現代発声に慣れた耳にはキモチ悪いだろうし、容姿もオバちゃん過ぎる?
いっつも音痴隠すべく踏ん張り気味のサル顔ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ
アタシの耳と目にゃ、このオッサンが何で世界最高のドイツリート歌手と謳われたか、全然わからんわ
同じサル顔なら、トーマス・ハンプソンが好き♪☆
ケート嬢(嬢と書くのは、敬意を表してだよ)も、ベルリン・ドイツ・オペラ日本公演に参加
♪フィガロの結婚、伯爵夫人の小間使いスザンナを演唱した
何回目かの公演後、同じ年格好の日本人男性と会話した結果
「まァまァ、我々の公演をお聴きになるため、野宿されてますの?それは大変ですね
有難いお話ですこと。お礼に、これから我々と一緒にお食事、如何ですか?」
相手の男性、その当時には引退していたが、名前を言えば誰でも知ってるホテルのオーナー
家がSP、LPでパンパンに腫れ上がり、いつ家屋傾いても不思議じゃない蒐集家いうほど、カネ持ちなの
それでもベルリン・ドイツ・オペラ日本公演には、安い席での観劇するべく
安い席は東京でしか買えないため?上京して、上野公園で寝泊まり
いざ本番の時も、これまた上野公園で寝泊まり
どちらとも冬や秋にしては暖かく、風邪ひかずに済んだんだけど、アラフォー親父がようやるわい
その無謀ぶりも、音楽を愛する故に。そうケート嬢は評価してくれたのね
大勢いるファンの中、見ず知らずの男性に、何人かと一緒とはいえ食事に誘うなんて…
「エリカ・ケートな、ホンマ、優しいオバハンやったで~」
30年余り経った1990年代半ば、中年から爺さんと化した元ホテルオーナーは嬉々と回想した
毎日会館の一画、タバコ吸いまくりOKなので煙だらけの、≪ワルツ堂≫の怪しげな奥空間で
さよう、元ホテルオーナー爺さん、≪ワルツ堂≫常連軍団の一人なのぉ
この爺さん、年金の心配なんか不要の余生送れる優雅なご身分
高齢なのにやたら元気で、レコード蒐集の他、バイク乗り回す日々を送っていた
「梅田から難波まで送ったるわ~。ホレホレ、後ろ乗れ」
30歳前のうら若きmathichenさんにヘルメット渡し、ブイブイ暴走族、神さんと悪魔に誓って実話だよーだ
爺さん、もおあの世にお呼びかかったやろな
名前、何だっけ?忘れた~
生きとって、この記事見てたら、≪Waltyクラシカル≫まで連絡頂戴ませませ~
≪Walty堂島≫時代に撮られた写真載せとくから、ボケてない限り、アタクシとわかるでしょ~
【三面記事でないのが幸い】(2010年2月11日)
他のWalty常連軍団、これ見ても自分の胸にしまっとけよッ
本人おらへんかったら、何を尾ヒレつけて茶飲みネタにするかわからんよってに、ホンマ~
記事題名は、ブリっ子ツェルリーナ好かんよって、孤高のドンナ・エルヴィーラよりパクリ
Pilar Lorengar in Don Giovanni - Wolfgang Amadeus Mozart ( Ah chi mi dice mai )





