毎日毎日もお暑くて、や~んなこった
と、記事題名通りの当所管理人です(自分で言わな、誰が言うてくれる?)
嘆きの天使、mathichenさんは別にアニヲタではありません
太古の映画好き、あるいは、正真正銘の掛け値無しな超トシヨリには
英語科を担当しているイマヌエル・ラート教授は、或る時受持ちの学生が取り落した淫猥な絵葉書写真から容易ならざる事実を知った。彼の受持の生徒の或る者が女買いをしている。相手はキャバレーに出演している踊り子である。教授は責任上その事実をたしかめるために生まれて始めてキャバレーなる場所の扉を開いた。案内されたのはローラとう問題の踊り子の部屋である。謹厳そのものゝような教授の生まじめな態度に興味を覚えたものかローラはいろいろと歓待する。彼女のあでやかさは教授に訪れて来た目的を忘れさせたばかりでなく、言いようのない魅惑を感じさせた。翌日になって夜が来ると教授は校舎続きの殺風景な一室に閉じ篭っていることが耐えられなかった。そして彼は遂いに意を決した如く一番上等なモーニングを着、髪の毛をくしけずって街に出て行った。そしてその晩、教授は遂々家に帰って来なかった。次の朝、いつもより気むずかしい顔をして教授が教室へ出て来ると、学生達が恋にはしゃいでいる。何気なく振向くと黒板は楽書でいっぱいである。教授は真紅になって学生達を怒鳴りつけた。学生達は、その怒鳴り声をいいしおにしてさわぎ立てる。遂いに校長が出て来て静かに教授を連れて行ってしまった。それから間もなくラート前教授がキャバレーの踊り子ローラと結婚したという耳珍しい噂を後に残して、彼等は巡業の旅に出た。だが旅の日を重ねるうち、貯えの金も使い果たした教授は、我が妻の裸体写真を酒場で売り歩くほどにまで身を落して行った。こうして二年三年と月日がたった。巡業団の出し物もだんだん種が尽きて来た。何か一花咲かす手段として首をひねった団長は一つの名案を思いついた。それは教授を道化者に変装させ、団長が得意とする手品のお相手を勤めさせることであった。この相談を持ちかけられた時、ラートは一旦断った。が、可愛いローラと二人で食っていかねばならぬことを考えた時、彼は承諾せずにはいられなかった。こうしてラートは生活のため人前に恥を忍んで旅から旅をめぐり歩いた。商売に抜け目のない団長はラートのこの浅間しく尾羽打ち枯らした姿を種にしてたんまり儲けようと、昔ラートが教授をしていた町で蓋を明けることに腹をきめ早速そこへ乗り込んだ。団長の思惑は流石に当って客はぎっしり詰めかけて来た。ラートがダブダブのカラーをして鼻をふくらませて舞台に出ると客は一斉にどっと笑った。犬の様な今の自分の道化姿を見て笑っている者の中にはその以前手塩にかけた教え子もあるであろう。そう考えるとラートの胸の中は煮え返るようであった。しかしこの時こんな思いをラートにさせておきながらローラは何をしていたか。彼女はラートが舞台に出ているのをいいことにしてかねてから情を通じていた一座の若い男と接吻を交わしていた。舞台のラートの眼にローラのこの不しだらが眼に入った。彼は突然舞台から降りるとローラへ恨めしそうな、悲しそうな一暼をのこして力なき足どりで何処かへ去ってしまった。その夜が明けて暁の色がほのぼのと町を染めかけた頃、鼻の先を黒々と塗ったダブダブのカラーをつけたラートの果敢なく息絶えた体が、昔の中学校の英語教室に発見された。
( Movie Walker:『嘆きの天使(1930)』より引用 )
嘆いているのは、ブッサイクなおっさんの方ですけどね
「やっぱ、若いイケメンがイイわぁ」。綺麗な花には毒がある。これすなわち、アダ花
世のオトコども、キャバ何とか通いに熱中してたら、食い逃げドロボー小猫の尻尾でしっぺ返しですぞぉ
主演のマレーネ・ディートリッヒといえば
‘悪魔の手毬唄’(1977年)に『恨みのモロッコ』として使われていた映画ね
( * この映画から、トーキー映画にスーパーインポーズ、日本語字幕が使われるようになり
1929年に起きた世界大恐慌が絶賛活動中の、ハロワなんて存在しない時代なのに
それまでトーキーでも熱弁ふるっていた無声映画弁士を大量虐殺に追い込んだ)
恨みのモロッコ、mathichenさんの嘆きの理由であります
何故か?
日本列島津々浦々では目下、青いフナ侍が五輪で勝利に浮かれ調子のようですけど
オトコのくせに、鏡の前で何時間、茶髪金髪のお手入れしてんの?を甘やかしてイイものやら~