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mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】
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$mathichenの徒然なるままに-パエリャ



いまでこそ給食メニューとして米飯は普通ですが、アタクシの小学生時代は滅多に登場しませんでした
ウチの小学校では、アタクシが5年生か6年生の時に初お目見え、卒業までに計数回だけ
1977年11月18日金曜日、ちょうど34年前の今日、ピラフでした(パエリャなんて西班牙料理知らんかったわ)
アタクシはいたって不運にも、その日学校を休みました
ド突いてもくたばらん級元気にもかかわらず兵庫医大へ。お目々の検査に行かなければならなかったため
何がいまだに腹立つって、クラスの男子どもが、給食の割当おかわり1人分浮くと喜び、アタクシの楽しみを分配の罪
アヤツら、とりわけメガネ外したネズミ男顔の薬屋バカ息子には、末代まで呪いかけてあります



医大の帰り、どっかの駅で新聞テレビ欄を見たら、関西テレビ夜9時‘ゴールデン洋画劇場’(高島忠夫解説)放送として






27歳の若さで、1973年のアカデミー賞主演女優賞とゴールデングローブ賞主演女優賞をダブル受賞したライザ・ミネリ
1969年に亡くなったママは天国からどういう感慨をもって見つめていたでしょうね






ジュディ・ガーランド、20世紀最高の女性エンターテーナーの1人でございます



娘ライザの舞台デビュー時、袖で嫉妬からシカトか突き飛ばしたか説には
「ママは自分が目立つのを考慮、私に冷たくしたんです」と娘が擁護



「ママと一緒だと、スリル満点な日々でした。先週は庭つき家に、今週は路頭に、私が物乞いに行ったこともしばしば」
死んだ時には、一文無しどころか莫大な借金抱えていたはず
葬儀代は、フランク・シナトラがポーン!と気前良く「返す必要ねえよ」



「母はハリウッドが大嫌いだった」「母を殺したのはハリウッドだ」
ハリウッドではなくニューヨークで葬儀を執り行い、ニューヨーク郊外の墓地にジュディを埋葬した
大賢者Wikipedia様に、映画会社が「かなり肥満気味の13歳のジュディに極度のダイエットを命じた」
ヤク過剰摂取の他には、こういう話があります
何かのパーティー中、バイキング料理を皿にテンコ盛りしたら
黙って皿を取り上げられ、代わりにコップ1杯の水をテーブルに置かれた
会社主催パレード中、「周囲の目を盗んでお菓子をポケットへ盗んだ」(他子役目撃談)
「あの子、いつもお腹空かせてたのよ」






‘スタア誕生’(1954年)でのオスカー落選、これは映画会社など業界上層部の陰謀
男性優位社会であるハリウッド、ジャンキーな女優がオスカー受賞を機に第一線復帰なんか許さん
ほとんどの業界関係者は天変地異級ビックリ
授賞者のサミー・デーヴィス・ジュニアなど、受賞者の名前書かれた紙を見て腹に銃弾だか爆弾だか撃ち込まれた気分
本人はといえば、完全に打ちのめされたといいます



皆様一度ご鑑賞あれ。‘スター誕生’(1976年)との比較で
ジュディに匹敵する天才バーブラ・ストライサンドですら吹っ飛ぶ名演






21歳の新人が何たる目立ちたがり?の軽いヤカラは一笑いしてから置き



それらを思えば






You'll Never Walk Alone(あなたは独りじゃない)、何とも皮肉



記事題名、1955年のシナトラ主演作邦題から思いつきました
…内容考えたら、性格いくない~