ぬかるみに鶴一羽 | mathichenの徒然なるままに

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関西圏の40代以上には懐かしい音源をYouTubeで見つけました






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鶴瓶・新野のぬかるみの世界(つるべ・しんののぬかるみのせかい)は、ラジオ大阪で放送されていた深夜番組。1978年4月9日から1989年10月1日まで、毎週日曜日深夜(月曜日未明)0:00-2:30頃(終了時刻は不定)に放送された。

概要
笑福亭鶴瓶と新野新がパーソナリティを務めた。ディレクターは岩本重義で、二人からは「ガンさん」または「ガンちゃん」と呼ばれていた。

日曜深夜という時間帯故に、当初はスポンサーが付かず、コマーシャルなしで放送された。スポンサーがないことを逆手にとり、二人はいわゆる世間話をエンターテインメントの域にまで高める。リスナーはぬかる民(ぬかるみん)と呼ばれた。「びめこ」(美しいおめこの事)、「ぶめこ」(ブサイクなおめこの事)。関西では女性器を「おめこ」と呼ぶ事から、美人がいるように「おめこ」にも美しさがあるという議論が起こった。美人でも「ぶめこ」な人とか、ブサイクでも「びめこ」な人がいる。美人女優やブサイクなお笑い芸人を話題に、あの女優は、ぶめこっぽいとか・・・論議した。「おじん」(男女の性別を問わず、寡黙な性格を持つ人。)、「おばん」(同じく男女の性別を問わず、陽気な下町的な性格を持つ人。)、「レンコン」(不特定多数の男性と経験のある女性のこと。)、「べにもいるのよ」(儲けていても、結構出て行くお金が多いこと。桂文珍が語源者と言われている。)など様々な流行語を生みだし、放送で呼びかけて催された新世界ツアー(1980年5月10日)には5000人以上が集まり、後に新世界パニックと呼ばれる事件になった。しかし新野は「パニックよー」などと喜んでいたふしもある。

番組内で新野が使っていた「ありぃの」「しいぃの」と言う口癖は、東京へ進出し始めていた吉本興業のお笑いタレントらがタモリの番組などで使い、全国ネットで放送され日本中で認知されるに至った。

「日曜深夜の時間帯を開拓した」という功績が評価され、1980年にギャラクシー賞を受賞している。

千房
千日前にあるお好み焼き店の千房(ちぼう)の中井政嗣と親しかった鶴瓶が放送の中でお好み焼きを食べたい旨連呼すると、中井はお好み焼きを焼いて当時は梅田にあったラジオ大阪へ持って行った。千房はスポンサーになることによって打ち切りを防いだ功績も大きい。千房には裏メニューとして「ぬかるみ焼き」が存在する。

番組の終焉とその後
人気の下落は1988年に起こった。同年4月にABCラジオで「誠のサイキック青年団」がスタートし、ぬかるみの世界を聞いていた若いリスナーが次第にサイキックを聞くようになり、更にMBSラジオで「Radio THIS」が始まるとRadio THISを聞くアイドルファンも急増し、番組自体もテコいれするもマンネリ化が顕著になり1989年10月に終了した。

その後2001年、インターネットにおいて「鶴瓶・新野のぬかるみドットコム」と題して会員制で放送が復活されたが、新野の体調不良などの諸般の都合から2004年5月で一時休止した。

( Wikipedia:『鶴瓶・新野のぬかるみの世界』より引用 )



1966年2月1日丙午生まれのアタクシもご多分にもれず、番組終了の1989年、23歳でぬかる民から永遠のサイキッカー
記憶自体がぬかるみの世界と化し、もう細かいことは忘れてしまいましたが…



‘ぬかるみの世界’には、リスナーと生電話するコーナーがありました
ダウン症の子供を持つお母さんとの電話の際、鶴瓶が人間性豊かな一面を見せたのを覚えています
「他には子供いてるの?」とたずね、もう一人(健常児)いると答が返ってくると
「その子を大事にしいや。別にダウンちゃんをほっとけいうのやないで
ダウンちゃんを面倒見た上で、もう一人に疎外感を持たせんようにせなアカンいうことや」
こういう内容を聴いて、「この人、人間の機微わかってるやん」と思わず涙出ました
一般市民は、偽善的な同情を障害児と親に向け、障害児の兄姉弟妹には何かと我慢を強いる鼻持ちならないお説教
障害児持つ親でさえ、その子に集中、他の子が受けるべき子供の成長に必要な家庭環境作りを忘れるのがいますからね



20年以上経った現在でも、『鶴瓶神さん』と感謝しています
参照:【倫理観すら八幡の藪知らず】