昨日の言葉通り、まーだまだ続きます、映画や音楽関係記事
歌劇は音楽・演劇・舞踏・場合によっては映像などの総合芸術です
多かれ少なかれ演出が決め手といえるでしょう
演奏会形式であっても、動ける範囲内で演技したり、小道具置いたり、時々見られます
イタリア人女性演出家と仕事したドイツ人メゾ・ソプラノ美女によれば
「ドイツ人は、言葉と思考の二重において物を考えるのに対し
イタリア人は、思考が言葉に直結していると教わりました」
歌劇上演の新聞評に、今回の演出や解釈はあーだこーだだけで大半を割くほどのドイツ人
伝統的な華やかな舞台がお好き、歌が第一義じゃのイタリア人
どっちが良い悪いは置き、それぞれの国民性を表わしていますわな
ただ台本なるもの、これは細かく時代や人物などの設定されていても
『人間模様』の解釈は想像の余地が残されていると思います
そこで、超有名作品の個人的解釈をば
ジュゼッペ・ヴェルディ大先生の♪椿姫(La traviata)ですね
La Traviata - Sempre Libera
こんな感じの艶っぽい現代スタイル美女(こだわりのAnna Netrebko)が一番嬉しいながらも
La traviata
無難な映像をペタリして、第二幕と第三幕について書くことにします
パリの喧騒を離れ、恋人アルフレードと田舎暮らしを始めた高級娼婦ヴィオレッタ
ある日、彼は彼女が家計をどうやりくりしているか知り、自分を恥じ入った
世間知らずの彼に苦労させないため、持ち物を売ってはおカネを得ていたから
彼女の苦労に報いようと留守中に、彼の父親ジェルモンが登場
ヴィオレッタの存在が娘(アルフレードの妹)の縁談に支障をきたしている、息子と別れてくれ
ヴィオレッタは泣く泣く聞き入れ、愛想尽かし的手紙を残し、パリの喧騒へ戻った
その結果、事情を知らないアルフレードは逆上し
舞踏会の場で、賭けで得たカネを彼女に叩きつけるという、男にあるまじき愚を犯してしまった
これには、駆けつけたジェルモンも怒り説教を
…の場面に来るたび、思うのですな。ジェルモンの動揺と『問いかけ』を
ヴィオレッタは彼女の立場を説明してやり返す、それは可能
しかしながらジェルモンとの約束を守り、何一つ余計なこと言わず、黙って耐え忍んでいる
娘に咎の無いことを盾に破談がどうのと騒ぐ中流坊やと比べて
どちらが人間的に優しいか、どちらが愛情深いか
…そう煩悶しても?
答は、第三幕に提示されていますよね
ヴィオレッタに手紙を送り
決闘騒ぎに発展したアルフレード、外国での謹慎が解けたら、必ず彼女のもとへ行かせる
自分も詫びに訪れる
実際、父子はヴィオレッタのもとへ現れます
が、そこで見たものは…
Fleming, Villazon, Bruson - Violeta's Death
侍女に介護され、医者と神父以外、誰も訪ねる者おらず、カネも命も尽きる直前のヴィオレッタ
ヴィオレッタはジェルモン父子との再会に喜び、「発作が治った…生きられる!」
もちろん、胸病みから体力消耗しきっており持続出来ず、まもなく息絶えるのですけど
…病気が完治した、あるいは確実に回復する吉兆、奇跡は起きたのだと思います
では、何が、奇跡を呼んだのか?
アルフレードが誤解を解いて戻ったことは無論
「わたしの娘として迎えに来ました」とのジェルモンの言葉でしょう
侍女や医者へ涙ながらに、「見て下さいな。愛する人たちに囲まれて死ねるのです」
最期の最後に、『家族』を得られた幸福感。何らかの作用をもたらしたとは?
上の映像でジェルモンを演じているイタリアの名歌手レナート・ブルゾン
「ジェルモンは中流階級の偽善的倫理基準を守ろうとする面が見られるにしても
娘と息子の幸福や将来を案じるがあまりの愚を犯した、根は善良な父親なのです」
このようなジェルモン解釈をしていますが、同感ですね
それだけに、余生は後悔の日々でしょう
ヴィオレッタは胸病みである以上、最初から平穏無事であっても数年持つやら
せめて相思相愛の息子と暮らさせてやれば、二人とも短期間でも幸福になれたのにと
アルフレードはアルフレードで
ヴィオレッタの遺言を胸に刻んだでしょう
自分の絵姿を「いつか良いお嬢さんが現れてあなたに恋したらこれを渡して欲しい」
「わたしは天より、あなた方を見守り愛します」
彼に機会が訪れたら、必ずや約束を守ると信じます
でなければ、ヴィオレッタの愛情をまたも踏みにじるわけですからして
