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mathichenの酔いどれ日記【Hatena版】
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【Viva!ヨーロッパ】イギリス 生きる力に変わった「戦争の恐怖」


mathichenの徒然なるままに-ベトナムの少女


この本の第十五章『赦し』

1996年11月11日の復員軍人の日、ワシントンD.C.でのヴェトナム戦死者追悼記念集会の場面


ヴェトナムから帰還して数ヶ月後の、24歳のジョン・・プラマー青年

3児を抱えて離婚、新しい婚約者を得て、操縦教育教官の任についていた

ある夜、婚約者や友人と一緒に、雑誌に載っていた写真を見て、「その爆撃を命じたのは僕なんだよ」

一同は嫌悪を。婚約者は、「どうして自慢出来るの。どうして得意そうな顔をするの」とでもの目つき


プラマー青年のその後は長くなるので要点を書くと…

だんだん戦争の話を避けるようになり、生活も崩れていった

折に触れ、ナパーム弾で火傷を負った少女の悲鳴がつきまとうため

何とか立ち直り出したのは、軍から地上勤務を命じられ、3度目の結婚以降

ヴェトナム従軍した弟を持つ、敬虔なクリスチャン女性の支えを得られたおかげ

1991年に神学校へ入り、その4年後にメソジスト教会の牧師に

それでも、完全に良心の呵責からは逃れられない…


一枚の写真のため、共産政権のお上より何かと利用されたファン・ティ・キム・フック

精神が活発になる読み物をともとめた何冊かの中に新約聖書

20歳のある日、男友だちの繋がりで足を運んでいた教会で、救済と回心を

33歳の秋、ワシントンの演壇でこう語ります

「肉体的苦痛と精神的苦痛をいやというほど味わい、もう生きていけないと何度も

神に救われ、信仰と希望を得られました

たとえあのナパーム弾を落としたパイロットの方と直接お話出来なくても

わたしはその方にこう言いたいのです

『わたしたちは歴史を変える事こそ出来ませんが、

現在と未来のために善い行いをして、平和を促進して行くべきではないかと』」


式典の後、TVカメラやマイクがごった返す中、元兵士たちと握手を交わすキム

送迎用パトカーにたどり着いた時、主催者から耳元でささやかれます

「キム、あなたが会いたいと思い続けてきた人がわかりますか?あなたの真後ろにいますよ」

「え?」と振り返ると、苦悩に満ちた男の顔。彼を見つめ、そして両腕を差し出します

彼女の腕の中に倒れ込んだプラマー牧師は、「すみません。すみません…」

「いいんですよ」とキムは言い、「赦します、もう赦しますから」


ナパーム被害者による爆撃加害者への赦し

…世間にあふれる反戦の運動やスローガンよりも、説得力を持つ。そう思えるんですね