ちょっとしたことから、久しぶりに自分がGIDかどうか、疑いを持ちました。
今日、なんとも言えない多幸感を感じました。よくわからないけど幸せ。無条件に肯定されている感じ。
そして、はっきり思い出した。これが、私が4年前に失ったものだと。そう、7年前までの私は間違いなく幸せだった。
それから2年かけて多幸感が消えていき、5年前完全に消えた。そして4年前、女性となることでその辛さが癒された。
そして今日、突然にして多幸感が帰ってきたのです。
一体なんだろう、脳内麻薬の分泌量の問題だろうか?うつ病みたいなものか?
そうしてみて、あの辛さは性的違和などではなく、脳の状態が悪かっただけでは?
そうなると、別に性別変更しなくても、自然に時がくれば治ってた?そんなふうに思ったのです。
そして、自分のいまの気持ちに耳を澄ましてみる。
男性に戻りたいと思ったことは?
もう男性の感覚自体忘れて、自分のことを女性としか思えません。
女性としたいか?
いや、まかり間違って男性として生活することになっても、やっぱり男性が好きなんだろうな。それはきっと変わらない。
女性であることが面倒に思うか?
面倒なら素っぴんでいいです。すっぴんだって女性だもん。←別の意味で問題なひらきなおり回答。
女性になって幸せ?
うん、今でもああ、女性になれてよかったとしみじみ思う。特に股間が変わってるのがすごく嬉しい。未だにそれを思うだけで喜びが込み上げてくるというか。
うーん、疑う余地はないですね。
問題なく、私の本性は女性でよかろう。
でも、本当によかった。ようやく人生を取り返したような。明日になっても消えないといいけど。
そして、自分の性別をこの年になるまで理解しなかった理由は非常にクリアになった。
私は単に生きてるだけで幸せだったんだ。別に男性として生きてても、それでも構わないくらい。そんなの全く気にならなかった。
それなら、性別に疑問を挟む余地はないな。生物学的性別を否定するには、それだけの現状にたいする嫌悪、違和感がなければ無理でしょう。それは並大抵ではないですよ。
そう、私は男性としても十分幸せで、問題なく生きていたのだ。それが、何の因果か、突然その幸福感が消え、自分の本当の性別と否応なく向き合うことになってしまった。
どうやら消えた幸福感も、時間が立てばまた戻ってくるものらしい。ただ5年間、じっと耐えていれば、きっとまた男性として幸福な人生に復帰していたろう。
ってか、普通の人間だったら、結婚することで、その欠落感を埋めようとしただろうし、それがパーフェクトな回答に違いない。
私は道を間違えたのか?別に本当の性別で生きることが幸せとは限らない。どっちが幸せかなんて、比較することに意味はないな。間違いなく、どちらの道でも私は幸せに生きていける。ならいいや、この選択でも。
それにしても、なんで自分は自分の性別すら分からなかったんだろう?という質問に対する回答が、幸せすぎて気づきませんでした、では、誰も責めようがないな。
過去の自分を許せない感情がすっかり消えてしまった。
しかし、この結論も、間違いなく過去記事に書いた。もう忘れないでほしい。過去の自分は肯定するしか、幸せに生きる道なんてないんだから。
今日、なんとも言えない多幸感を感じました。よくわからないけど幸せ。無条件に肯定されている感じ。
そして、はっきり思い出した。これが、私が4年前に失ったものだと。そう、7年前までの私は間違いなく幸せだった。
それから2年かけて多幸感が消えていき、5年前完全に消えた。そして4年前、女性となることでその辛さが癒された。
そして今日、突然にして多幸感が帰ってきたのです。
一体なんだろう、脳内麻薬の分泌量の問題だろうか?うつ病みたいなものか?
そうしてみて、あの辛さは性的違和などではなく、脳の状態が悪かっただけでは?
そうなると、別に性別変更しなくても、自然に時がくれば治ってた?そんなふうに思ったのです。
そして、自分のいまの気持ちに耳を澄ましてみる。
男性に戻りたいと思ったことは?
もう男性の感覚自体忘れて、自分のことを女性としか思えません。
女性としたいか?
いや、まかり間違って男性として生活することになっても、やっぱり男性が好きなんだろうな。それはきっと変わらない。
女性であることが面倒に思うか?
面倒なら素っぴんでいいです。すっぴんだって女性だもん。←別の意味で問題なひらきなおり回答。
女性になって幸せ?
うん、今でもああ、女性になれてよかったとしみじみ思う。特に股間が変わってるのがすごく嬉しい。未だにそれを思うだけで喜びが込み上げてくるというか。
うーん、疑う余地はないですね。
問題なく、私の本性は女性でよかろう。
でも、本当によかった。ようやく人生を取り返したような。明日になっても消えないといいけど。
そして、自分の性別をこの年になるまで理解しなかった理由は非常にクリアになった。
私は単に生きてるだけで幸せだったんだ。別に男性として生きてても、それでも構わないくらい。そんなの全く気にならなかった。
それなら、性別に疑問を挟む余地はないな。生物学的性別を否定するには、それだけの現状にたいする嫌悪、違和感がなければ無理でしょう。それは並大抵ではないですよ。
そう、私は男性としても十分幸せで、問題なく生きていたのだ。それが、何の因果か、突然その幸福感が消え、自分の本当の性別と否応なく向き合うことになってしまった。
どうやら消えた幸福感も、時間が立てばまた戻ってくるものらしい。ただ5年間、じっと耐えていれば、きっとまた男性として幸福な人生に復帰していたろう。
ってか、普通の人間だったら、結婚することで、その欠落感を埋めようとしただろうし、それがパーフェクトな回答に違いない。
私は道を間違えたのか?別に本当の性別で生きることが幸せとは限らない。どっちが幸せかなんて、比較することに意味はないな。間違いなく、どちらの道でも私は幸せに生きていける。ならいいや、この選択でも。
それにしても、なんで自分は自分の性別すら分からなかったんだろう?という質問に対する回答が、幸せすぎて気づきませんでした、では、誰も責めようがないな。
過去の自分を許せない感情がすっかり消えてしまった。
しかし、この結論も、間違いなく過去記事に書いた。もう忘れないでほしい。過去の自分は肯定するしか、幸せに生きる道なんてないんだから。