私は、おそらく性的違和を34才になるまで感じたことはない。

こういう、傷口から血が滴るような話題は、普通年数を重ねたブログには出てこないもんでしょう。普通は自分のなかで折り合いをつけるものです。

しかし、私はそういう心の整理が大の苦手なのだろう。

私は、いまでもその年まで本当の自分に気付けなかった自分も親も世界そのものもなにもかも許せない気持ちになって、おかしくなる。

私は多分、MtXと呼べる状態を過ごしていたと思う。

男だと思うよ、だって、ついてるじゃん。そんな自己認識。でも、男性的な価値観が大嫌いだった。男らしい自分とかは想像もできない。

そして、なにより一層事態を複雑化したのが、男性的な性欲があったことだ。女性ホルモンいれるまでは、週1は最低出してたから。

そうなると、性的違和ってものが働いてくれないことには、自分の性別なんて認識しようがない。

私の性的違和は、自分が女性であると思うようになって初めて発生した。

下着は男性用なんて絶対履けなかったし、男性用スーツを着るのが特に嫌だった。

私のケースだけど、自分が男性か、女性か、とにかく性別をはっきりと自覚しない限りは発生して来なかった。

多分に、私の性的違和は意識より上の階層で、自覚的に発生しているものだろう。

人によっては潜在意識から、無意識に発生することもあるだろう。っていうか、そうでないと、警報装置として全く役にたたない。

火が燃え盛って、それからようやく機能する火災報知器みたいなもんだ。

でも、ここまで書きながら、気づいた。私はちょうど33才くらいの時点で、生きる気力を失っていた。何をしても楽しくない、これは、もう死んだほうがいいかな?

これこそが、性的違和なんだろうか?そういうことなら、非常にスッキリする。

30過ぎまではなんとか頑張って男としていきたが、そこが限界。無意識が悲鳴をあげ、そこに女装願望がうまいこと滑り込んで、なんとか本当の自分にたどり着いたと。

こういう自己認識も、間違いなく過去に記事にしてる。でも、たまに文字にしないと、忘れてしまう。忘れると、20代でトランスできなかった自分が許せなくて、発狂してしまう。

何度でも書いておこう。今自分が歩んでいるこの人生はほぼ必然。

中学高校大学会社、全部私の能力、性格、性向からほぼ必然的に紡がれている。

そして、30過ぎに爆発して女性化することも、おそらくはすでに生まれた時点くらいには決まってたことだろう。