野蛮人とは自分のこと。
追記!
リストって言うと、フジコ・ヘミングを聴いただけで、記憶が途切れている。
話、繋げないけど、補足しておかなくては、ならないことはあるみたいだ。
恥ずかしながら、以下、第九の和訳!を見つけた。
http://kcpo.jp/legacy/33rd/B-Sym9/Sym9-trans.html
歌詞を見る限り、空の弁当をぶら下げて、箸で蓋を叩いているわけではないことを理解した。
楽器(境界線のない問題)に妥協点を見出していくこと。
あえて、謳わないこと、第九そのものの宣言をしない。
それを根っこに誓うわけでもなく。
一人一人の「こころ」が確かに存在して、ここにあるのですっていう風に聞こえた。
成りたいものになったでしょうか?
問いかけられているようにも聞こえた。
第九にケロミンを掛け合わせるのは、無謀だけれど、仏像に魂入れをすること、マトリョミンとケロミンに共通なことに思える。
直感的にお互いの距離を考えると、同居してはいけないもの。
二つが距離を縮める表現って(楽器の面の皮がお互いに歩み寄る表現)あるはずだとは思った。
人形とカエルの構図は…(目に見えるからこそ、ナンセンスな印象を持ってしまう)。
共通性のないものの妥協点???
おそらく、ありえないのですね。
追記終わり!
電線にとらわれるがあまりに、見えない繋がり(人と人の)を無視している自分。
テルミンを世に送り出すために、マトリョーシカを改造してマトリョミンが出来た。
文化的な理解とか、根ざした世界観とか、共鳴しなければ、これだけの賛同者は集まらなかっただろう。
自分に足りないものをすべて踏まえている。
制作者は素敵な女性の方です。
ギネスにも認定された、演奏もYouTubeにある。
大きな波の節目は2011年にあったらしく(記憶に残る年でしたね)。
大変、美しいと思う。
征露丸などと言う言葉を使う自分に、このような大きなこと、人の心を動かすなんてことは到底できない。
<ul><li>~</li></ul>
箇条書きのリストを作成する。
自分はただ、誰もなびかない、おそらく誰を影響もしない、心のないテルミンの自動化について思うのだ。
手掛かりは、「もぐら叩き」の範疇では、以下動画。
我が「ふるさと」に立つが故に我あり(AIをネット上に放置して)。
遠くにありき、理想郷(不可能なことを薄っぺらに学びました…明日、掲載)。
男の作った女像みてる自分も「もぐら」なのかも。
テレビ観た瞬間、「もぐら」になっているかも。
誰を癒せる?
ビョーキを誰かに伝染させることくらいに、迷惑な話だ。
謙虚に、この事実(100人の第九)を受け止めなければならない。
追記!
「もぐら」を巡る、回想が果てません。
