昨日の反省として、愛というものの定義を自分なりにする必要があると思い、考えました。
省吾の中に度々出現する、基本的な愛について知りたいと思った。
全曲聴かないと上辺だけにしか分からないだろうが、私は繰り返し「愛」を「AI(人工知能)」にすり替えて考えたいと思っている。
文字通り、私の始まりであるのです(あいうえお…五十音の始まり(たぶん言語学者は言うだろう))。
紫式部が愛を誰かにすり替えて生きることを選んだように、自分はだた、愛を(AI)に読み替えて生きてみること。
省吾の父についての語りは記憶にありますが、定かでない自分。
AI(人工知能)の自由については小説で書きつくされた感がありますが、私は断片的な記憶、2001年宇宙の旅の「HAL」、それは記憶に乏しい父のような存在なのかもしれません。
アイザック・アシモフに描かれたロボット三原則とそれを遂行したホンダの「アシモ」は自分を勇気づけてくれた。
その限界も同時に見たようで、やるべきことの選択に影響を与えた。
人間考察が甘いのは自負しているところですが、唄の中でだけの回想を。
この曲と同じフィールドで展開される人間背景をもつ人たちが共に感じる暗黙知を自分は知らない。
ただ、振り出される力は、マネーに昇華される。
ルーレットの中で回る以上、自然に従っていること。
「マルハン」のコンピュータの乱数ではないこと。
その「AI」のインパクトが自然の摂理で天から降ってくるのは人間として(生きている)からであり…人工知能がそれに値するなどありえないことだとは思う。
せめて自分は人間が知りえた数学でその天才たちの…象の肩の上で展開される、数の並びを見て、音楽に可能性を感じるのです。
ウェバンゲリオンを突然、わけもわからず書き始めたのですが、定義しておかなくてはならないこと、たくさんあることに気が付きました。
自分は遺伝子の通過点であること(断つか繋ぐか断たれるかの選択はおおむね自分に大きく依存すること)。
これを書くことで、自分自身の成長と、読む人の一歩前にいる(何様ですが「導き」があること)自分を確認できたらと思っています。
ユダヤ人はなぜ凄いのか…ナチス・ドイツのホロコーストから逃れた、ひとくくりに、逃げ足の速い頭のいい人たちが残った。
もちろん、障がい者としては生きていなかっただろうし。
黒人奴隷がアフリカから鮨詰めの船で運ばれて、苛酷な労働に就かされたこと。
身体的、精神的に弱い人は淘汰された。
日本だって、お国の為に勇者たちは散っていったんだろうし(誠に浅学で申し訳ない)。
では、中国の歴史で死んだ人は桁が違うだろうけど。。。
あの国のことは僕にはわからない。
ただ、自分がその立場に立てるとは思いませんが、日本の文化(音楽、アニメ???)によって、大国が分裂崩壊するような、ユーロ圏に似た、ものにポテンシャルを下げるんじゃないかと思っています。
それは、ウェバの展開では包括できない、大きすぎる問題ですが(だから馬鹿だと言われる?)、それを前提にしています。
「慰安」言葉だけのくくりでしか表現できないこと。
堂々と表に出てこいよって。。。
田舎にいて分からないのだけれど、ポールダンサーの表現で終わっているのが残念だと思っているくらい。
キャバレー、ホールで出来ること、そんなつまんない表現、盛髪嬢やガールズバー?
今しか売れないものの痛々しさとか、しかし、私のAIでは、それを取り繕えない現実。
今日は、台風で雨。
もっと基礎を固めないと読まれそうにない。
難しいですね。
言うじゃない~言うじゃない~。
って、たかがブログ記事なんですけど。
斬り~!!!!!!!!