市内小中学校一斉開放があります。
閉鎖的な空間に
風穴を開ける意味でも
より多くの人に現状を
見てもらうことは
大切なように感じます。
昨年は、講演会がありましたので、
1中学しか回れませんでしたが、
スクールの保護者の方々に情報をご提供いただいて、
今年は、全中学を回ることができました。
学校によって、
取り組み、雰囲気、先生の子どもへの接し方
保護者の関心度
いろいろな差を感じてきました。
現場を見るということは、
非常に大切で、
話を聞くだけとか、
仮説だけでは、
わからないこともあります。
ギャラリーがいるので、
いつもとは違う環境
だとは思いますが、
それでも
得られることは多いです。
授業を見ていると、
子ども達をグッと引きつけている先生方と
子どもが達が遠ざかっている先生方がいらっしゃいます。
子ども達から話を聞いていると、
○○先生の授業はわかりやすい!
とか、
○○先生は、私のことをよく見てくれている。
なんて話もよく聞きますし、
担任の先生によっては、学級通信をほぼ毎日
発行して、クラスの出来事、
学校生活でがんばっている子ども達を
そこで紹介したりされているということも聞いていて、
その学級通信を見せてもらったこともあります。
自分のことを見てくれている。
自分のことを認めてくれている。
こんなことが伝わっていると
子どもだけではなく、大人でもうれしいですよね。
こういったところから、
自己肯定感や自己効力感が
高まるように思います。
ただ、中には、
教育実習生の方が授業がわかりやすい
とか、
一方通行で子どもはただ聞いているだけ
とか、
塾に行っていること前提で、授業をされる
といった、悲しいお話を聞くこともあります。
OneWayでお話しされている授業も見ましたが、
子ども達は沈滞しています。
あれは授業ではありません。
また、塾に行っていること前提というのは、
僕は許せないことだと思います。
当然ながら、塾に全員が行っているわけではなく、
行ける環境にない子もたくさんいるわけです。
塾ありきの学校の授業はありえません。
ねじれが起こっている。
義務教育を行う学校という場は、
何のためにあるのか。
その先生は、
何のために先生職に就かれたのか。
こんな疑問が浮かんできてしまいました。
昨日、受講した研修の中でお会いした方も
何のために先生になったのかを話せない先生が
中にはいるという話をされていました。
それでは、子どもに大切なことは伝わらないでしょう。
what(何を)ではなく、
why(何のために)を持つ時代が確実にきています。
そんなことを感じる時間が続いています。
「何のためにその志事をしていますか?」