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バンドや音楽のこと、日々のことを記録します。




何も欲しくないのに渇いていてしょうがない。



気持ちがひび割れる。



何かを汚したくて汚れたくてしょうがなくなる。



何か柔らかいものをゆっくり潰すみたいな生モノっぽい感覚。



どこかへ行きたいのにどこにも行く宛がないみたいな。



拒絶されないことを知っていて、人の弱いところへ甘える。


ゆっくりと水の中に沈められていくみたいに苦しい。



それでも手を伸ばしてしまう。



そこはキレイな箱の中。



箱の外は汚い世界で、暗くて痛くて怖いものが沢山あって。


箱の中にいれば汚れずにいられることもわかっていて、
だけど箱の中では何かを感じることは出来なくて。



でもそこを一歩踏み出してしまった瞬間からもう後戻りはできない。



だけど例えばそれが吐き出すみたいに汚くて、人間臭いことでも
わたしはそうすることでしか生きていけない。



昨日はライブでした。



それまで風邪をひいていてダルかった体調も、
上がりきらないテンションもどこかへいってしまった。



ライブをすると全部吐き出せる気がする。



普段生活していて、どうしても人の狂気や感情をまともに食らってしまう瞬間がある。



特に社会にでて感じたこと。



籠の中の鳥ならまだ、籠の中の世界しか知らないからいいけど
翼をもがれた鳥を垣間見るような気分にさせられることがある。



普段なら何ともないことが、
そういう時は自分が反射的に切り返すことの出来ないような状態になっている。


何ていうか、悪意を吸い取ってしまってそれに侵蝕される感じ。



どうしようもなく気分が悪くなる。



気が滅入るとはまさにこういうことを言うんだと思う。



だから、わたしはそれを外に吐き出さないといけない。



そしてそれはわたしの場合生み出すことでしか吐き出せない。



だから創造することでしか癒やされない。



思い知らされるのは、自分が吐いた言葉は自分の身を滅ぼすものでしかないということ。



多分、人にはそういうものを人に吐き出す人間と

人からそういう影響を受けとる人間と

人のそういう感情を転換する人間の3種類が居ると思う。



どの人もきっとどんな人間にも成り得ると思う。



わたしも自分でわからないうちにそういうことをしてしまうことがある。



ただ、人に吐き出されたものを食らいたくはないし
人に影響ばかりを受けるのもよくないと思う。



もっと足下を固めないと巣くわれる気がする。



わたしは人間が一番恐ろしいと思う。



自分から籠の外に出て、
自分で翼を生やして、
自分の力で空を飛ばないことには何の意味もなさない。


今日は久しぶりにゆっくり出来たので、テレビを何となく見ていたらNHKでハーバード大学の講義をやっていました。



その講義は正義という観点から哲学的に人の道徳性を考えるというものでしたが、
かなり面白い内容の講義だなと思いました。


大学の講義を面白いと思ったことなんてほぼないけど、
やっぱりレベルの高い大学程扱っている内容は充実しているし、濃いなと。
それが本来大学のあるべき姿だと思った。
そして学問の面白さだと感じた。


そこで教授の言っていた内容を要約すると、
普段何気ないことや当たり前だと思っていたことを再度検証することによって、そこには今まで考えたことのないような事実や仕掛けが隠されている。
それを再度検証していくことが哲学である。


そして、それを考えることにより新たに知ったり学んだ事というのは二度と以前と同じようには考えることは出来ない。

これは哲学に置いて必ず負わされるリスクの一つである。


そして、それをいくら考えたことによって答えを導き出せるものではない。


しかし、答えを導き出せない事実があるのにも関わらず、
今もなお研究され考え続けられているという事実や哲学という学問があり続けることに意味がある。

だからわたし達は考え続けなければならないという内容のものだった。


かなり要点だけをまとめましたが、その考え方にはすごく共感したし
哲学を面白いなと思いました。


ソクラテスやベンサムの著書を読んでみようと思いました。


世界には曖昧なことばかりで、答えなんか出ないことばっかりだ。


でも世界自体が曖昧だから、要は知った上で何を信じたいのかってことの方が大事だなって思ったんだ。


だからわたしは自分を諦めないし、止めない。


それは在るべくして在ると思うから。