不登校でなくても、進路の話は重たくて、避けたくなります。
不登校の中学3年・・この絶望感は半端ありません。
でも、有無を言わせず中学卒業はやってきて、どの高校に行くか以前に、
行くか行かないかを決めなければなりません。漠然と卒業、を迎えてしまいそうな甥っ子。
日々、学校に行くか、行かないかの問答が続けば追い詰められて、甥っ子は
だんだん心を閉ざすように口数が減っていきました。
では、問答しなければ心を閉ざすことはなかったのか? と言えば、NO、
だと思っています。
だって、甥っ子にとって最も解答を見つけたい問答は、行くか行かないか、
なのだから。問と答えはなんらかの形で救いを求めているのです。
どんな不登校の子でも、不登校初日から「学校行かなくていいよ」、と親が言って
いるはずがない。今日は行きなよ、今日も行けない、といった会話があったはず。
叔父さんとも、ばあちゃんとも、そんな会話をしていました。
そんな会話は辛すぎる中で、ネットで検索すれば、
「無理に学校に行かせなくていい」、という識者の言葉がよく出てきました。
しかし…、これで「行きなさいと言わなくていいんだ」と、大人が思ってしまうのは、
人として身内としての営みを端折りすぎなのでは…。
ばあちゃんと叔父さんは、無理はしてほしくはないが、行かせなくていいとは、
とても言えない。かえって悩みが大きくなった感じがします。
一方、甥っ子の母親は「無理に行かさなくていい」を免罪符に、都合よく思考停止
したかのようです。そして甥っ子は、その母親の都合のよい狡猾さを見抜いてし
まったようです。