今、ほぼ毎日行っている公共施設には、ピアノがあります。
ピアノを見て、思い出すことがある。
私は小さい時、本当に時々ですが、家族みんなと、ちょっとしたオジサンと一緒に、外食に行くことがありました。
たいてい、王将とか、ファミレスのような感じのところでした。
オジサンは、なぜか、毎回行くところを変えたがる人でした。
よくわからないこだわり。
同じロイヤルホストでも、違う店舗に連れていくことが、いいもてなしだと思っていた人でした。
当時ロイヤルホストがあったかどうかは知りませんが(;^ω^)
そして一度連れて行ってもらったところに、ピアノがありました。
そのピアノは、自動演奏機能が付いていて、
無人なのに、鍵盤が押されていて
私は子ども心に、「うわあ、透明人間が弾いてる???」と、
食事ではなくてそのピアノの方に夢中になって、
帰りの車の中でも
「ねえ、あそこにもう一度行きたい!」と何度もおねだりして
無駄なのをわかっていながら、道を覚えようと外に注意を払ったり、
次に外食に行く機会があった時にも
「あのピアノのところがいい!あのピアノが見たい!」と何度言っても
でも、2度と連れて行ってもらえませんでした。
今思えば、少し特別な、高いところだったのかもしれませんね(;^ω^)
ピアノが置いてあるくらいですもんね。
だから連れて行ってもらえなかった、というのもあるかも。
そして、大きくなってから、少しいい楽器屋さんに行くと
ピアノの自動演奏のパフォーマンスがあったりして
ああ、私が小さい時に憧れていたのはこれだったんだ、と
懐かしく思ったのですが
もう、子供の時のような、
はじけるような嬉しさやときめきはなく。
残念だなぁ。
子どもの時に、あの気持ちを持っていた時に、もう一度見たかった。
何度でも見たかった。
ピアノがもっともっと好きになっていたかもしれないのに。
子どもの時に好きなことって
その時にしてあげなきゃだよな、と
ピアノを見て、いつも、少し寂しく思うのです。