京都見廻組の今井信郎(いまい のぶお)は、坂本龍馬・中岡慎太郎が殺害された近江屋事件に関して「自分たちがやった」と自供したことで知られています。
その今井信郎が剣術教授方として赴任していた上州高崎の岩鼻陣屋から江戸に呼び戻され、京都見廻組への編入を申し付けられたのは慶応三年(1867)五月二十二日のことでした。旅費等の支給が遅れ、実際に京都に赴任したのは同年十月初旬のことといいます。この時、今井に申し付けられたのは肝煎(きもいり)という役目で、これは市中見廻りの組を引率する隊長にあたります。しかし、今井は市中見廻りをすることはなく、しばらくは応接役のような仕事をしていたといいます。
同年十一月六日付の幹部隊士名簿(『在京鳥取藩士用状』)にも43名の肝煎の中の一人として、今井信郎の名が渡辺吉三郎(吉太郎)、渡辺鱗三郎(一郎、篤)らの名と共に書き連ねられています。
そして、それからわずか九日後の同年十一月十五日に近江屋事件が発生し、今井信郎は佐々木只三郎率いる一団に加わり、坂本龍馬の潜伏先であった河原町通蛸薬師下ルの醤油商・近江屋を襲撃するのです。
信郎の孫にあたる今井幸彦氏の著『坂本龍馬を斬った男』には以下の記述があります。
京都での仮寓は今出川千本といわれ、七十俵六人扶持という微禄である。着任後間もなく見廻組与力頭(よりきがしら)を拝命しているから、いまの警察組織にあてはめると、横浜時代の警部クラスあるいは警視正クラスへ、抜擢といえよう。
この文章の最後はちょっとおかしい印象を受けます。おそらく「横浜時代の巡査から警部クラスあるいは警視正クラスへ、抜擢といえよう。」などのような脱字があったのではないかと思われますが、それはさておき、信郎は京都に着任してから間もなく「与力頭」に抜擢されたというのです。
この与力頭という役職を史料中に見出すことは出来ませんが、佐々木只三郎と同じ「与頭(くみがしら)」のことと考えて間違いないと思われます。ちなみに幸彦氏の父健彦を含む今井信郎の妻子に取材した大坪草二郎の『国士列伝 今井信郎』にも「選抜されて京都見廻組与力頭となり、今出あたりで旅宿を構えていた」とあるので、今井信郎は家族に「与力頭」になったと伝えていたのかも知れません。考えてみればなるほど「くみがしら」より「よりきがしら」と言った方が偉くなった感じはしそうです。
与頭は表禄高三百俵に加え、役料三百俵の計六百俵と十五人扶持となり、肝煎の七十俵六人扶持からすると、いきなり禄高(給料)が8.5倍になった計算になりますが、それ以上に大きいのは御家人から旗本に昇格したことであり、将軍に謁見出来る「お目見え」となり、大名と同席出来る身分となったことでしょう。そこで問題なのは、近江屋事件の九日前まで肝煎だった今井信郎が、どのタイミングで与頭に昇進したのかになりますが、これに関しては同じく近江屋に斬り込んだ桂早之助の伝記『桂早之助略伝』(川田瑞穂著)の中に答えがあります。
慶応三年十二月、早之助大坂に下り、転じて丹波亀岡に至り、同月九日急招によりて京都に還り、十一日肝煎命ぜらる。これがため、従来は佐々木只三郎附属なりしも、以後今井信郎附属となる。
桂早之助は近江屋事件の後に大坂や丹波亀岡の探索任務に就いていましたが、慶応三年十二月九日に京都に呼び戻されて、同月十一日付でそれまでの見廻組並から肝煎へと昇進したのですが、それにともない、それまでの佐々木只三郎配下から今井信郎配下へと異動したのでした。つまり今井信郎はこの時点までに、近江屋事件から一ヶ月も満たない十二月十一日までの間に与頭へと昇進していたことになります。まとめると
慶応三年(1867)
十一月六日 幹部名簿に肝煎として氏名あり
十一月十五日 近江屋事件
十二月十一日 肝煎に昇格した桂早之助が配下となる。
となります。近江屋事件に参加したとされる京都見廻組の隊士たちの中には、今井・桂の他にも渡辺篤や高橋安次郎なども事件後に昇進したとされていますが、与頭(旗本)にまでなったのは今井信郎ただ一人であり、これは誰が龍馬を斬ったのか、答えは出たも同じ。
・・・・・・と思っていたのですが、いろいろ調べたり考えたりしているうちに、「まあ待て。結論はまだ早いか」と思うようになりました。
考えられるケースとして、実は今井信郎の場合、見廻組への編入が決まった時点で「はじめは肝煎にしておいて、折をみて与頭に昇格させる」ということがあらかじめ決まっていたとすればどうでしょう。そして、そう考えると、市中見廻り隊長である「肝煎」だったのに、実際には市中見廻りをすることはなく応接係のようなことをやっていたというのも、すぐに昇進することがあらかじめ決まっていたから敢えてやらせなかったのだと解釈出来ますし、近江屋事件も参加さえすれば良かったと考えることも出来ます。
だとすれば、今井信郎本人が刑部省・兵部省で供述したように、二階に斬り込むのは他の者に任せ、自分は一階で家人の見張りをするよう佐々木が命じたというのも納得出来ます。佐々木にしても、いずれ自分と同格になることが決まっている人物に万が一のことがあってはと思うと、「今井君、二階に斬り込んでくれ」とは言えなかったでしょう。
ただ、そうなると今度は事件後、今井信郎が右手の指にけがをして帰って来たという、信郎の妻いわの証言をどう説明するかということにもなりますが、はてさて、真相は如何に。
※.AIによる再現写真。
