ライヴァバーズ ~女ビートルズの軌跡(3) | またしちのブログ

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幕末史などつれづれに…

ビートルズのマネージャー・ブライアン・エプスタインへの押しかけオーディションで見事に契約の約束を取り付けたライヴァバーズですが、ブライアンは契約にあたって一つの条件を出しました。それは「ドイツには行かないこと」です。一年前とは違い、ビートルズが爆発的な人気を得ている今(※1)、同じリヴァプール出身で女の子だけのバンドという話題性に富むライヴァバーズがドイツに行ってしまえば、ドイツの音楽界が彼女たちを放さないだろうというのです。

 

 

彼女たちは悩みました。今第三者の立場で考えれば、一体何を悩む必要があるんだろう、ブライアン・エプスタインと契約する以外の選択肢はないじゃないかと思うのですが、まだデビューもしていないのに「契約違反」というミソをつけることに不安があったのか、それともビートルズと同じハンブルクのスタークラブとの契約という、ひとつの夢がせっかく実現したのだから是非とも行ってみたいと思いが強かったのか、あるいは契約が6週間(一ヶ月半)だったので、どうせすぐに帰って来れるだろうと考えていたのか、いずれにせよ、グループ内で話し合った結果、彼女たちはブライアン・エプスタインとのマネージメント契約を断念し、当初の契約を守ってドイツに行くことを決断します。

 

 

「ドイツに行ってしまったら、もう帰って来れなくなるよ」というブライアンの忠告は、やがて現実のものとなります。ハンブルク空港に降り立った彼女たちは、まだデビューもしていないのに大勢のファンが待ち構えていることに驚き、まだデビューもしていないのにマスコミの取材を受けたことに驚きました。

 

 

そしてスタークラブのステージに立つとたちまち人気に火がつき、まもなく「ショップ・アラウンド(Shop Around)」(スモーキー・ロビンソン&ミラクルズのカヴァー)で念願のレコードデビューを果たします。想像以上の人気ぶりに6週間で帰るという当初の予定はいつの間にか忘れ去られてしまったようです。翌1965年に発表した2枚めのシングル「ディドリー・ダディ(Diddley Daddy)」(ボ・ディドリーのカヴァー)はドイツのヒットチャートで5位にまで上がり、ライヴァバーズ最大のヒットになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ※.Liverbirdsについて書かれた海外サイトの英文を独力で訳して書いたものなので、誤訳などあるかも知れませんが、なにとぞ御了承下さい。

 

※1.参考にした英語記事には書かれていませんでしたが、これは1964年の話だと思われます。

 

 

(画像はお借りしました)