人間サボってます | またしちのブログ

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幕末史などつれづれに…

昨日、今日となんにもしてません。何しろ一人暮らしで自由な身なので、まあいいかなと思いましたが、やっぱりも少しシャキッとせにゃいけませんな。

 

 

とにかく、新しい情報があまり入って来ないからか、ボーッとしていると昔のことなどを思い出します。あるいは夢の中で昔の出来事や、昔出逢った人が出て来たりします。昨日は昔見た夢の中の光景が夢に出て来ました。そういえば、昔友人にそうした話をしたら、「それは既視感というヤツで実際は見てないんだよ」と言われたことがありましたが、そうではないと今なら確信を持って言えます。

 

 

どうも人間という生き物は、生まれてから見たり聞いたり感じたりしたことを、実はすべて記憶しているのではないか、と最近考えるようになりました。ただ、それらの感覚的な記憶は、本来思い出す必要がないものだし、仮に思い出したところでほとんど役に立たないものであるため、記憶の深層部に封印されて眠っているのではないでしょうか。

 

 

サヴァン症候群という、重度の知的障害や精神障害を持った方が、見た光景を驚くほど正確に描写出来たり、一度聞いただけの楽曲を完璧に演奏出来たりする症状がありますが、これは脳に障害を持ったことで特別な能力を獲得したわけではなく、本来誰もが持っていながら使う必要がなくて封印している能力を、障害のために言語をうまく使いこなせないマイナス部分を補うなどの理由で、覚醒させたものではないか・・・、と考えてみたりもしています。

 

 

そして、こうした感覚的記憶の能力は、実は人間以外の生き物たちも有しているものであって、渡り鳥やサケなどの回帰性(回帰本能)も、実は一度見た風景を正確に記憶しているからだと考えることが出来ます。

 

 

つまり、言葉という情報交換ツールを開発し、使いこなしている人間にとっては既にほとんど不必要となっている「見たものを正確に記憶する」という能力も、動物たちにとっては生きていくために絶対必要な能力だというわけです。そして、こうした感覚的記憶は、実は言葉を覚えて使いこなすことよりもはるかに単純で簡単なものなのでしょう。

 

 

これはパソコンに例えることで理解しやすいと思われます。たとえば・・・

 

 

 

パソコンに、このすっぽんの画像を記憶させることと、「すっぽん」という言葉で記憶させることでは、言葉を記憶させることの方がはるかに簡単なように思えます。が、実際には「すっぽん」という言葉を理解し、活用するために、パソコンには様々な基本ツールが組み込まれていまて、その容量は画像を記憶させるための容量とは比べ物にならないくらい大きなものです。人間の頭の中も同じで、言語を使いこなすために脳の大部分が使われ、それにともなって画像などの感覚的な記憶はごく一部しか活用されていないのだと思われます。

 

 

更に言えば、一般的に天才と称されている人たちは、おそらくこの感覚的な記憶能力をうまく使いこなすことが出来ているのでしょう。たとえば、「3×4」という計算を、「3×4」という数字や、「さんかけるよん」という言葉ではなく、点の集合体などの状態で脳裏に正確に思い浮かべ、それを応用することが出来る能力があれば、どんな複雑な計算でも思いのままです。

 

 

・・・などと考えてみましたが、もちろん無学の素人の考えなので、聞き流して下さい。