渡邊昇談話を読む(1) | またしちのブログ

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幕末史などつれづれに…

肥前大村藩士で神道無念流練兵館の塾頭をつとめた渡邊昇(わたなべ のぼり)は、新選組に関して二つの証言を残した人物としても知られています。

 

 

 

 

渡邊の証言とは、ひとつは練兵館の塾頭時代、当時天然理心流試衛館の道場主であった近藤勇に道場破りの助っ人を頼まれたという話で、もうひとつは幕末の京都において、自分を尾行している者があるのに気づき、「黒衣、黒袴、問わずしてその新選組たるを知る」とした話です。

 

いずれも広く知られた話であり、特に新選組ファンには知らない人がいないのではないかという逸話ですが、以前何度かこのブログで書きましたように、僕はこの二つの話にはどうも合点がいかないところがあるのです。

 

そこで、この証言の原点といいますか、実際に渡邊はどう語ったのだろうというのが知りたかったのですが、明治期に書いたといわれる自伝も、「自伝がある」という情報はあっても、未だ書籍化されていないのか、その中身を目にすることは出来ません(でも内容を知っている人は少なからずいらっしゃるようなのがチト不思議ですが)。

 

というわけで、渡邊の伝記や談話の類でもっとも古いものは何だろうと、国立国会図書館デジタルコレクションで探してみたところ、どうやら明治42年に出版された『死生の境』(田中萬逸/博文館)に収録されている「子爵渡邊昇氏談」がもっとも古いもののようだというのがわかりました。この『死生の境』は、当時の報知新聞に連載された、幕末から明治期を生き抜いた人々の若かりし頃の武勇伝をまとめたもので、前後編の二巻からなっています。

 

読んでみたところ、僕としてはある意味とても納得がいく内容でした。著作権保護期間も切れているし、話もとても興味深い内容なので、ここで紹介させてもらおうと思います。注釈(というかツッコミ)を差し込みながらにしようかと思いましたが、それだと読者のみなさんに僕の考えを押し付けてしまったり、要らぬ先入観を与えてしまう可能性があるので、新選組に関わる部分を全文紹介してしまったあとに、僕の考察を披露したいと思います。ただし、全文ひとまとめにすると長すぎるので三つに分けることにします。また、文章は原文のままにしますが、漢字とかなづかい及び句読点は現在の用法に置き換えさせてもらいます。

 

 

 

 

「子爵渡邊昇氏談話」

 

人を斬った時には、どんな気がする、どう感ずるかとのお尋ねだが、元来人を斬るのはほんの一気で、感想などの宿る余裕がない。それどころか、斬り倒すにはこうするとか、ああするとかいう考えさえ出る間がないくらいで、全くなるに任せるという、ちょうど闇のようなものである。

 

我輩の壮年の頃、京都に放浪していた時の事だ。ある日、大久保一蔵(利通)先生を、寺町の邸に訪(と)うた。座に居合わせていたのは坂本龍馬と石川清之助(中岡慎太郎)の二人。

 

二人は我輩の顔を見るとすぐに「君は危険だぞ。用心しろ。早く京都を去って大村に帰るがよかろう」と言ったので、自分は「俺は俺だが、君達はどうか」と聞き直した。すると二人は「君の危険なのを知ったればこそ、俺等は安全の境に立っているのだ」という。

 

なるほど一理あるので、その理由を聞くと、二人は更に「俺達の安全なのも由緒がある。また貴公の危険を知ったのも、深い由緒がある事だ」とて話はそのままとなり、酒の馳走に預かった。

 

したたか酒を喰らい、酔って大久保先生の邸を辞したのは、日も西山に傾いた逢魔が時。ほてる面(おもて)を夕風にさらしつつ、酔歩蹣跚(※)として今出川に出で、岡山の藩邸のすぐ隣なる下宿へ帰ろうとすると、怪しき曲者(くせもの)が二人、見え隠れに尾行して来る。

 

※.酔歩蹣跚(すいほまんさん)…酔っ払ってふらふら歩くこと。

 

曲者の服装は、上から下へかけて黒づくめ、衣服も黒ければ傘も黒く、一見新選組の者であるのが知れる。

 

我輩は渇してたまらんので、途中に知り合いの袴屋で暑寒平(※)を売っている家があるから、そこに立ち寄って、奥の水口で冷水をあおっていると、件の曲者は、無遠慮にも袴屋へ入って来て、今入った男はお前の家に泊まっているのか等と声高に聞いている。

 

※.暑寒平…縦糸に絹糸、横糸に麻糸を用いて織った男物の袴地。季節に関係なく年中着られる事からこの名がある。

 

さてこそ下郎ども御座ったな、と我輩は水を飲みながら談話の逐一を聞いて、刀を引き抜く用意をし、何食わぬ顔で「御馳走になった」と言いながら出てくると、二人の奴は暖簾の下に立っている。

 

生意気千萬な奴だと小癪にさわってならんので、こっちからやっつけてやろうかと腕が鳴ってたまらなかったが、エエッ、たかが新選組のサンピンが二人、何の事があろうと我慢して、向こうから打ち込んで来るのを待つ覚悟で、ことさら二人の間を「御免なさい」といいながらツト通った。

 

すると二人は左右に開いて、道をあけつつジロリと睨む。そんな事は関せず焉(※)と、下宿の方面に向かったが、さてこのまま下宿に帰っては面白くないと、門をよぎって飄々と北野の天神まで行った。

 

※.「関せず焉(えん)」でひとつの熟語で、意味は「関せず」と同じ。