お梅という女(12) | またしちのブログ

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幕末史などつれづれに…

もし平間重助が玄関先の六畳間で寝ていたら、「芹沢鴨の暗殺」は成功しなかった可能性が高い。だとすれば平間を玄関左手の部屋で寝るように誘導した糸里を疑ってみた方が良いのではないか・・・。

 

その糸里が事件後どうなったのかに関しては、ほとんど記述がありません。たとえば

 

平間重助婦人両人とも疵なく、驚き平間重助局を脱す。

 ~『浪士文久報国記事』(永倉新八)

 

女はお梅だけ殺され、小栄、糸里の両女は平間とともに不思議に命は助かった。

 ~『新撰組顛末記』(永倉新八)

 

平間も、蒲団の上から二突きされたが、糸里と共に落命したふりをして不思議な生命を助かって逃走した。

 ~『新選組始末記』(子母澤寛)

 

娼婦はこの紛乱に逃失したり。よってこれに構わざりし。

 ~『壬生浪士始末記』(西村兼文)

 

 

また、八木為三郎の語った話の中では、糸里の事件直後からの消息については特に言及がありません。とりあえず、上記の記述をみれば現場から逃げ出して、そのまま姿を消したと考えてよいと思われます。

 

が、これはちょっとへんな話ではありませんか。糸里は事件の被害者であって、部外者でもあります。事件当夜、恐ろしくて逃げ出したのは理解出来るとしても、姿を消す必要はまったくなかったはずです。いや、そもそも関東からやって来た平間と違い、糸里は京の女であり、島原の輪違屋のお抱えであったことははっきりしています。居場所を探そうと思えば探せぬわけがない。

 

事件が内部粛清であることは隠され、長州の息のかかった浪士の仕業だとでっち上げられたわけですが、だとすれば現場にいた糸里や吉栄は「これに構わざりし」ではなく、きちんと事情を聞くべきであったはずです。・・・たとえ形だけでも。

 

そして、糸里や吉栄がそのまま姿を消したとすれば、それで得をするのは言うまでもなく芹沢鴨暗殺の真犯人である近藤グループに他なりません。「新選組の局長が殺された現場に居合わせた女」なのだから、その後、たとえ島原でなくても、どこかの茶屋にでも働いていれば大いに人気を得たはずです。なのに、それもなしに完全に姿を消したのであれば、やはりそれは糸里が事前に近藤ないしは土方の意を含んでそうしたということではないでしょうか。

 

そして平間重助は、芹沢鴨を殺害するために、結果として自分が生かされたのだということに気づいてしまったのではないでしょうか。だから在京中だった水戸藩士の吉成勇太郎など、逃げ込むべきところに逃げ込むでもなく、何も語らないまま京都を去り、そのまま隠遁してしまったのではなかったでしょうか。

 

 

そう考えると、吉栄がたまたま厠に行っていて助かったというのも果たしてどうなのか。おそらくは吉栄も事前に意を含められていて、土方が部屋を覗きに来たのを合図に厠に避難していたのかも知れません。

 

だとすれば、逆にどうしてお梅だけが殺されなければならなかったのでしょう。