松原橋 | またしちのブログ

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幕末史などつれづれに…

京都市内の大動脈のひとつである五条通。その五条通の、鴨川に架かる橋が五条大橋です。

 

五条大橋といえば、牛若丸と弁慶が出会い、戦った場所として有名ですね。

 

♪京の五条の橋の上~

 

なんて、子供の頃によく歌いました。・・・そのあとを忘れてしまいましたが(笑)

・・・大の男の弁慶が~ 地球をはなれ~イスカンダルへ運命背負い~今飛び立つ~ だったかな(笑)

 

さて、その五条大橋のひとつ北側に松原橋という小さな橋があります。

 

 

 

実をいうと、牛若丸と弁慶が出会ったのは五条大橋ではなく、この松原橋だったというのをご存知でしょうか。

 

画像はお借りしました。

 

 

現在の松原通は、元々平安時代の五条大路でした。そのため、当時はここが五条大橋と呼ばれていたわけですが、橋の両側に松が生い茂っていたため、この橋は五条松原橋とも呼ばれていました。

 

その後、戦国時代が終わって豊臣秀吉が天下人となり、京に入ってきたことで町の様子は変わっていきます。秀吉は方広寺を造営するにあたり、方広寺へと続く、五条大路のひとつ南の道、当時の六條坊門小路を五条通と改めさせました。

 

それに伴い、五条松原橋から「五条」がとれて松原橋となり、通りの名も五条大路から松原通へと「格下げ」されてしまったのです。

 

五条大橋西詰の中央分離帯に立つ牛若丸と弁慶の像。本当はここじゃありません。

 

 

そして、現在の松原橋は五条大橋の慢性的渋滞を避ける車の抜け道と化しています。

 

 

時折り観光客が橋の上で記念写真を撮ったりしますが、その目の前を車がビュンビュン通り抜けていくので、正直ちょっと危ないです。

 

ちなみに、下は先月撮った写真。橋のたもとにあじさいのミニチュアみたいな花がたくさん咲いていました。

 

 

 

この松原橋のちょっと手前(西側)に、高瀬川に架かる小さな橋がありますが、その橋も同じく松原橋というそうです。松原小橋ではないんですね。

 

そして、橋の東側が“舞妓さんに会える町”宮川町です。おこしやす。

 

 

松原橋の上から五条大橋の渋滞を見る。