壬生寺(いやな話です) | またしちのブログ

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幕末史などつれづれに…

タイトルにあるように、ちょっといやな話なので、新選組ファンの人は読まない方がいいかも知れません。

 

今日は、ある事を確かめようと思って壬生寺に行って来ました。山南忌で、肥前平戸藩に山南茂次衛門という、これまで「いない」とされてきた山南姓の武士が実在したという、あさくらゆう先生の大変貴重なお話がありました。

 

その肥前平戸藩のお殿様が松浦氏なのですが、実は壬生寺の現在の貫主様が松浦俊海氏、先代が松浦融海氏と、こちらも松浦氏なのです。

 

ひょっとしたら壬生寺貫主は、江戸時代から代々松浦氏だったのだろうか、だとしたら肥前平戸藩の松浦家の縁者なのではないだろうか・・・。もしそうだとして、山南敬助が茂次衛門の親族だったとしたら、彼にとって壬生寺には特別の思いがあったはずです。

 

また、同寺の壬生塚地下の展示室には、「新選組が、寺を武芸調練の場として提供すると決めた時に交わした約束事を守ってくれない」と壬生寺が所司代に訴えた口上書も展示されています。山南としては壬生寺の側に立って近藤局長に抗議をせざるを得なかったかも知れないし、それが山南敬助の最期へとつながって行ってしまったかも知れない・・・。

 

それを確かめるためには、まず壬生寺の貫主さまが当時から代々松浦氏だったのか、を確認する事だと思い、寺務所へと行ってお話をうかがったのですが・・・・・・。

 

応対にあたって下さったのは年配の女性でした。

「すみません。ちょっとお聞きしたいのですが」

「はい」

「壬生寺の貫主さまは代々松浦さんなのでしょうか」

と聞くと、その方は急に口をつぐんで返事をされませんでした。ああ、やっぱり個人情報の面もあるから答えられないのかな、失礼な事を聞いてしまったのかな、と思いましたが、その時、奥の方から別の女性が顔も出さずに

「ちがいま~す」

と返事をされました。なので

「肥前のお殿様の松浦家とご関係は・・・」

と聞くと、やはり顔を出さないまま半笑いで

「関係ありませ~ん」

と言うなり、年配の女性と二人でケラケラと笑い出しました。僕はまだ目の前にいるのに。

 

「失礼しました」と挨拶をしてその場を去りましたが、正直言って、これまで色々なお寺や神社でお話をうかがってきましたが、こんな対応をされたのは初めてです。新選組ゆかりの寺なので悪く言いたくないし、悪く思いたくもないのですが、やっぱり、大変不愉快です。・・・なんか、色々イヤになってしまいました。