大藤幽叟の暗殺 | またしちのブログ

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文久三年七月二十六日の朝、三条大橋西詰の制札場に人の生首がくくりつけられ、吊り下げられていました。京の町中たちまち大騒ぎになり、三条大橋周辺には野次馬が群がったといいます。

 

三条大橋西詰制札場跡。

 

新選組局長近藤勇が故郷に送った手紙(※.1)にいわく

 

三条大橋西詰に御用場制札相掛かり候設備これ有り。そのところへ首を相掛け、(中略)首の上に板に書き記し、つり下げ御座候事、見物の人数、袖を連ねはなはだもって騒々しき事のみに御座候。

 

制札場(伊勢亀山宿に復元されたもの)

 

 

殺害されていたのは備中国(現・岡山県)吉備津神社の元神主・大藤下総守高雅(おおふじ しもうさのかみ たかつね)でした。大藤下総守は幽叟(ゆうそう)の号で知られています。大藤幽叟は神職でありながら国学者としても知られ、緒方洪庵は叔父に当たり、陽明学者の山田方谷も縁戚に当たります。

 

大藤幽叟は迫りくる異国船の脅威に対し、大坂湾防禦のため紀淡海峡を土砂で埋めて暗礁とし、船舶の侵入を防ぐという独自の海防論を持っていました。その実現のため学習院はじめ諸方にさかんに運動するとともに、大坂や京の商人に献金を求めていましたが、そのことが幕府に接近し、実現する見込みのない計画を打ち立てて商人から金を貪りとっていると思われてしまったようです。

 

前日・七月二十五日の暮れ六つ時、幽叟の下宿先であった室町二条下ルの山田源兵衛方に浪士風の男二人が突然押し入り、幽叟はその場で斬り殺ろされ、その首は浪士たちによって持ち去られてしまっていたのです。

 

斬奸状にいわく

 

この者、奸吏板倉周防、水野和泉に与し、その許状を受け炮台築造を名とし、富商へ立ち入り大金をむさぼり候罪軽からず。よって天誅を加える者なり。

 

実はこの事件のつい四日前(二十二日)に、同じ三条大橋西詰の、橋の親柱の擬宝珠(ぎぼし)に、佛光寺通高倉の商人で、外国との貿易で巨利を得ていた事を理由に殺害された八幡屋卯兵衛の生首が吊り下げられ、晒されていたばかりでした。

 

三条大橋西詰の親柱。

 

幽叟の「紀淡海峡暗礁化計画」ですが、素人目に見ても、いかにも学者が考えそうというか、およそ実現不可能な机上の空論という感じがしないでもありません。ただ、それにしても攘夷のための計画である事に変わりはなく、正直なぜ幽叟が殺害されなければならなかったのか、真相は不明と言わざるを得ません。おそらく本人もなんで殺されなければならないのか、理解出来ないまま死んだのではないでしょうか。

 

ただ、直前に殺された八幡屋卯兵衛と同じ場所で晒されたという事実を合わせて考えてみると、両者に共通するのは「金」、しかも大金を動かしている人物だという点です。

 

前年に発生した一連の天誅事件以降、これらの事件に刺激を受けた血の気の多すぎる連中が、その出自・思想を問わず続々と京の都に流れ込んでいました。あるいはそんな中の誰かが「同志」のつもりで幽叟のもとを訪ね、金銭的支援を要請したところ、全く相手にされなかったので逆上して殺害した、というのが事件の真相なのではないかと思います。

 

そして、そういう意味を含め、もし容疑者を一人挙げよと言われるならば、土佐を脱藩し勤王党の同志たちとの縁も断ち切って江戸に出てみたものの思うような活動が出来ず、この時期、京に舞い戻って商家などへの押し借りを繰り返すなど、落ちぶれていた岡田以蔵の名を僕は挙げたいと思います。

 

数日前に八幡屋卯兵衛の首が晒されていた同じ場所に、あえて幽叟の首を晒すなどという事は、「自分は捕まらない」という自信のあらわれであると思われ、それはつまり、この手の天誅事件の実行経験者である可能性が高いと推測出来るからです。

 

さて、晒されていた幽叟の首は山田源兵衛によって引き取られ、胴体と縫いつなげられた上で三条大橋東の心光寺に埋葬されました。

 

心光寺(京都市左京区三条上る超勝寺門前町)

 

 

ご覧のように心光寺は開放されていませんが、決して拝観禁止というわけではないようです。先日たまたまご住職にお目にかかれたので、大藤幽叟の墓についてお尋ねしたところ、心良く中に入れていただいた上にご住職みずから墓を案内していただきました。

 

大藤幽叟の墓

 

 

正面に「明岳院大京幽叟居士」とあります。ただ大藤幽叟の墓は、元々は別の場所にあったのだそうです。後年、墓地を改修した際に現在の場所に移したらしいのですが、元の場所はわからなくなってしまっているらしく、幽叟の遺体がどこに埋まっているのか、残念ながら現在では不明だという事でした。

 

昭和17年、孫の三宅正太郎によって建立された顕彰碑。

 

 

※.1 『幕末天誅斬奸録』(菊地明/新人物往来社)参照。