沖田要氏 | またしちのブログ

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幕末史などつれづれに…

実は恥ずかしながらまだ一度も読んだ事のなかった

 

『新選組一番組長 沖田総司の生涯』(菊池明・新人物文庫)

 

をようやく手に入れる事が出来ました。

 

 

 

 

そうしたら、なんと “あの” 沖田総司の肖像画のモデルになったという沖田要さん(総司の姉ミツのお孫さん)の写真があるではないですか!

 

ちなみに、その肖像画はこちら。

 

 

“あの” 沖田総司肖像画

 

 

この肖像画について菊地先生は

 

これは昭和四年(1929)六月に封切られた『剣士沖田総司』で、月形陽候(※.月形龍之介のこと)が演じた総司の髪型と、要の顔を合成したもので、『定本沖田総司おもかげ抄』には要の長男である勝芳が「あれは自分の父、沖田要がモデルとなったものです」、と著者の森満喜子氏に語ったことが記されている。これが事実であることは、要の写真と総司の肖像画を比較すれば誰でも納得するだろう。

 

と同書に書かれているのですが、菊地先生ごめんなさい。僕は全然似てないと思います(笑)

 

たしかに特徴はとらえているとは思うのですが、やっぱりこの肖像画を描かれた方は、人物画はあまり得意ではなかったんじゃないかと思います。

 

その要氏の写真ですが、おそらく40歳前後でしょうか。まあ、イケメンかと言われると「見る人による」という感じですが、少なくともこの肖像画よりはだいぶハンサムです。

 

イメージ的には「プロ球団が注目する高校球児」みたいなタイプ。アスリート系の好青年タイプだと感じました。

 

沖田総司はよく「ヒラメ顔」だったと言われますが、ヒラメは片側に目が寄っているのであり得ないため、実際は「平たい顔」、もしくは目の離れた、いわゆる「魚顔」を意味するんだろうと思っていましたが、実際に要さんはちょっと目が離れています。

 

それにミツさんやその曾孫の哲也さんのお顔を写真で拝見して、沖田家の方は鼻が大きいという特徴があるように思ったのですが、要さんはそうでもないようです。

 

まあ、強いて言えば清宮:藤浪晋太郎:大谷翔平ぐらいの感じでしょうか。強そうだし優しそうだし、ミツさんが「総司に似ている」と言った時はまだ少年だったようですが、きっと大人になってからも総司に似ていたんだと思います。

 

実は、その沖田要さんの写真をもとに、懲りずに沖田総司のコラージュ写真を作成してみたのですが・・・。