今日はかねてからの念願のひとつであった、坂本龍馬・中岡慎太郎遭難の地である近江屋跡で朝食をとってきました。
と言っても、もちろんかっぱ寿司ではありません。おとなりの星乃珈琲さんです。
本当の近江屋跡は星乃珈琲店の方なのですが、遭難の地の碑はかっぱ寿司の店舗前に立っています。これもこのブログで何度も紹介した話だと思いますが、念の為もう一度。
千年の都、京都の心臓部を南北に縦断している河原町通も、十二年前は電車も通らぬ道幅三間半の古風な街並であった。それが大正十三年道路拡張に着工、昭和二年同工事を終えてから街の風貌は一変し、電車、自動車が絶え間なく交流する京都随一の主要道路となり、往年の古き軒の低い家は全く影を潜めたが、この通りの中ほど、蛸薬師下る骨董商井筒屋店頭地籍の雋雄坂本龍馬遭難の地 - 当時の近江屋新助、井口醤油店 - は、激しき時の変遷の中にも永遠に忘れ去ることは出来ないところであろう。
その近江屋の家屋は、道路拡張の際奥の縁側のあたりまで拡げられたため取り毀されて当時の面影はとどめず、その時東隣(※.北隣の誤り)の井筒屋が同家屋の一部を買収、店舗を拡張しその店頭に今日遭難の碑が建てられて、わずかに “そのころ” を文明の街並に偲ばせているに過ぎない。 ~『維新の史蹟』(星野書店・昭和14年)
つまり、大正13年からはじまった道路拡張工事の際に近江屋こと井口醤油店はとなりの骨董商井筒屋に土地を売却し、井筒屋は近江屋のあった土地に自店舗を増築した。その後店頭、つまりはもともと井筒屋の玄関があった方に「坂本龍馬・中岡慎太郎遭難の地」の碑を立てたという事になります。
つまり、この場所に碑を立てた事は、当時としては決して間違いではなかったという事になりますが、その後、時代を経て再び2つの店舗に別れて現在に至っているため、本当の近江屋跡の場所に碑が立っていないという状態になっているというわけです。
文章からみて同書が出版された昭和14年当時、まだ井筒屋は営業を続けていたものと思われるので、この話は信用して良いと思われます。
『維新の史蹟』より、昭和14年当時と思われる遭難の地の碑
まあ、何はともあれ朝食のモーニングセットです。
アイスコーヒーでした。アイスコーヒーって大きめのコップに並々入ってくることが多いですが、僕としてはこれぐらいで十分です。
日曜日でしたが、まだ午前中ということもあってか、そんなに混んでませんでした。となりの席のヤンキー・ドゥードル・ボーイたち(たぶん)がスマホ画面を見ながら「イッヒッヒ」とニヤけまくっていたのが多少アレでしたが。
本当は二階席にしたかったのですが、店に入るなり「こちらへどうぞ」と勧められてしまったので、今日は入り口近くのこの席にしました。
が、会計を済ませたあと、2階ものぞかせてもらいました。
ちなみに、事件当時の近江屋2階見取り図。東が河原町通。龍馬と慎太郎が斬られたのは一番奥(西側)の部屋です。
その後、道路拡張工事が行われたという事を考えると、現在の店舗との比較は容易ではないです。龍馬が倒れていた仏間が現在の歩道際ぐらいになるのでしょうか。事件当時は道幅三間半(約6.4m)だったようですが、現在の河原町通は約22m(京都市情報館「都市計画一覧表」参照)とかなり広がっているので、どこを基準として広げたかによって結構誤差が出そうですね。
ただ、「奥の縁側のあたり」まで道路が広げられたのかは少々疑問です。『維新の史蹟』には、この近江屋跡を「市電河原町蛸薬師停留所前」と紹介しているので、あるいは停留所を作るために近江屋のあたりだけは更に広げられてしまったのでしょうか。もし、本当に奥の縁側あたりまで道路になってしまったのだとしたら、龍馬と慎太郎が殺害された部屋は、現在の歩道あたりになるのかも知れませんが、そうなると道幅三間半と合致しなくなりそうな気がします。
まあ、次に行く時はぜひ二階席にしようと思います。ちなみに、午前11時までならコーヒーの値段(税抜き480円)でモーニングセットが食べられます。





