新選組・不動堂屯所の謎(17)『御水帳』 | またしちのブログ

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幕末史などつれづれに…

さて、今回からしばらくは

 

東塩小路村に建設された六条御隠居屋敷が、実は新選組「不動堂屯所」であると想定して、その結論に導くにはどう考えれば良いか。

 

を考えていきます。つまりは「はじめに結論ありき」の「たられば話」である事をはじめにお断りしておきます。

 

 

という事で、まず重要なのが六条殿御隠居屋敷が東塩小路村のどこに建てられ、どのぐらいの規模だったのかを探り出す事です。

 

しかし、用水路を元にその場所を割り出そうという考えは、京都市歴史資料館所蔵の「東塩小路村絵図」によって、実は村中に用水路は張り巡らされていたので特定は不可能という、考えてみれば当たり前の結論に達してしまいました。

 

しかし、実は京都市歴史資料館において、もう一つ重要な史料を見せていただく事が出来たのです。

 

その名は「城州葛野郡東塩小路村御水帳」(以下「御水帳」と略す)です。

 

「城州葛野郡東塩小路村御水帳」(京都市歴史資料館所蔵)

 

 

これは画像のとおり、東塩小路村に知行地を持つ

若宮八幡宮

仏光寺

六条道場(歓喜光寺)

一条道場

建仁寺

堀池御仲間

清水(寺)成就院

太子堂

の耕作地の割り振りを記録したものです。残念ながら作製年代は不詳(江戸時代なのは間違いない模様)ですが、農地なので幕末まで大きな変化はなかったはずです。

 

「これならば六条道場(=六条御隠居屋敷)の場所が特定出来るんじゃないか」

 

期待に胸を膨らませてこの「御水帳」を開いてみましたが、僕はかえって大きなショックを受ける事になってしまいました。