天寧寺 | またしちのブログ

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幕末史などつれづれに…

萬松山天寧寺(ばんしょうさん・てんねいじ)は、京都市北区の寺町通にある曹洞宗のお寺です。

 

前回ご紹介したとおり、このお寺は赤報隊総長を務めた滋野井公寿(きんひさ)を輩出した滋野井家の菩提寺です。

 

今日は朝からあいにくの雨でしたが、天寧寺に行って来ました。

 

 

 

この天寧寺は、もともとは会津の戦国大名蘆名氏の菩提寺だったのですが、天正十七年(1589)の摺上原の戦いで蘆名氏が伊達政宗に敗れた際に焼失し、当時の住職が京に逃れて再建したものなのだそうです。

 

その後、会津の天寧寺も再建され、のちの戊辰戦争の際に新選組局長近藤勇の墓が土方歳三によって建てられた事は有名です。

 

 

天寧寺の山門は、あたかも比叡山を額縁に収めているように見える事から「額縁門」と呼ばれています。

 

アップにしてみました。

 

 

晴れてたらもっともっとキレイだったと思います。

 

墓域は当然一番奥にあるのですが、滋野井家の墓は山門を入ってすぐ右手にあります。

 

しかも・・・

 

 

上の写真の大木の脇を抜けないと行けないようになっています。道がないのです。

 

 

 

 

滋野井家累代の墓です。ただし、もっとも新しい墓が公寿の曽祖父である滋野井公敬のもののようで、実在・公寿親子の墓はありませんでした。

 

 

余談ながら、天寧寺には示現流開祖善吉和尚の墓もあるらしいのですが、今回は見つける事が出来ませんでした。