糸井しだれ 戦火に散った花(1) | またしちのブログ

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幕末史などつれづれに…

糸井しだれというタカラジェンヌがいた事をご存知でしょうか。

 

(画像はお借りしました)

 

糸井しだれこと宮田光子は、大正7年9月21日、大阪船場で金屏風製作を生業とする家に生まれました。男3人女4人の7人兄弟で、光子は3女でした。

 

子供の頃から美声の持ち主として知られ、NHKラジオの子供向け番組に出演して歌を歌ったり、レコードを吹き込んだりしていたそうです。

 

そして、宝塚ファンだった兄や姉の熱心な勧めで、14歳の時に宝塚音楽歌劇学校(現在の宝塚音楽学校)を受験して見事に合格。第21期生として宝塚少女歌劇団に入団します。同期には、のちに女優として活躍する轟夕起子や服部富子らがいました。

 

昭和7年の雪組公演『春のおどり(七曜譜)』『フービーガール』で初舞台を踏んだ彼女でしたが、当初は地味な存在だったようで、しばらく下積み期間が続きました。

 

(画像はお借りしました)

 

残された写真を見ると、いかにもタカラジェンヌという派手な顔立ちではなく、むしろ親近感を覚える普通の女性、「お嬢さん」というよりもむしろ「娘さん」と呼ぶ方が似合いそうなタイプのように思われます。

 

そんな彼女の転機となったのは昭和13年、日独伊親善芸術使節団のメンバーに抜擢され渡欧した事でした。これは、かつて彼女が吹き込んだレコードを聞いた小林一三( 阪急電鉄グループの創業者 )の強い推薦によるものだったと言います。

 

 

凱旋公演となった昭和14年月組公演グランドレビュー『ブルウ・トランク』

 

 

参考文献:三重ふるさと新聞「タカラジェンヌ糸井しだれ 津市玉置町に散る」「ある救護班員の証言」(雲井保夫) /  同「B29搭乗員の写真とボム・タッグ」 / 「私の宝塚体験三景」(高山英男)他