島田左近の暗殺(27) 動き出す闇(一) | またしちのブログ

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幕末史などつれづれに…

さて、九条尚忠により「差し控え慎み」を言い渡されて謹慎しておった島田左近でございますが、これはあくまで表向きの話でございました。

龍章も表向義言江文通之御咎にて差控被仰付、夜忍候にて御沙汰有之。先々何も御安心可被下置候。(『長野義言書翰』井伊直弼宛。東京大学史料編纂所)

~(島田左近)龍章も、表向きは私と文通した事を咎められて差し控えを命じられましたが、夜忍びの事についてのお沙汰ですので、これからもご安心下さい。



つまりは「夜出歩く事」だけを差し控えよという命令であったようでございます。

その一方で長野主膳の方はと申しますと、この「戊午の密勅」騒動は絶対に阻止せねばならなかったものを梅田雲浜らにしてやられてしまったワケでございまして

かの者召し捕らえ太閤殿(鷹司輔煕)との通信を断ち申さずば、この上いかなる害を生じ申すべくとも計り難き次第(『長野義言書翰』宇津木六之丞宛。東京大学史料編纂所)

と、是非とも連中を逮捕せねばなるまいとの決意を固めたのでございます。


それはさておき、梅田雲浜らの起こした「戊午の密勅」騒動は、藩に属しない浪士であっても、京へ上って公家に取り入れば政治を動かすことが出来る、という前例を作ってしまったのでございます。

これがその後、時代を大きく動かす事になる志士を生む大きなきっかけとなったのでございます。身分の別や志の違いを問わず、若者たちは浪士となって京に押し寄せるのでございます。