しかし、よく見てみると座っている武士の紋は「丸に十の字」、そう島津家の人です。なのに何の説明もないという「謎の写真」だったんですが、その答えは鹿児島史研究の第一人者、桐野作人氏のブログ「膏肓記」に載っていました。
実はこの人物、島津久光の四男島津珍彦らしいのです。しかし、それ以上に驚いたのは後ろに立っている人物が薩摩藩の家老小松帯刀だというのです。
小松帯刀というと
というのも、月代だと頭が寒いので総髪にしたいと、わざわざ藩に願い出ている書状が残っているんだそうで、その書状が提出されたのが元治元年から慶応2年の間と推測されているらしいのです。
つまり一人で写っている写真はそれ以前、珍彦と写っているのはそれ以後という事になります。
(上の写真のアップ)
この件に関して、桐野先生はブログの中で「小松は病弱だったので、やつれたのではないか」と推測されていますが、僕はむしろ修羅場をくぐって来て目つきが鋭くなったように感じます。
桐野先生はこの本を持っておられないそうで、ちょっと優越感(笑)
で、この人物の家紋が確認できれば小松帯刀である事がより確実になる、という風に書かれていたので、もし、まだ解決していないのであればと、拡大画像を載せておきます。お役に立てればいいのですが、って、そもそも読んでないか(笑)
小松家の家紋「抱き梶の葉」
写真の人物の袖の紋を拡大したもの
ちなみに、もう一人の外人さんは英国東洋艦隊のキング提督だそうです。