グローバル幸福度調査の目標は、さまざまな国の人々の5年間の持続的幸福度を測ることにある。測定は、参加者が自分の人生について毎年回答するアンケート調査(「人生の目的を理解している」「あなたの身体的な健康状態はどれくらいですか」「通常の月の生活費が足りるかどうか心配する頻度はどれくらいありますか」などの質問に0~10で答える)にもとづいて行われる。
研究では、幸福感と生活への満足感、心と体の健康、人生の意味と目的、人格と美徳、親密な社会的関係、経済的・物質的な安定という6つの主要な領域に着目している。それぞれの領域の質問に対する回答を集計することで、その人の持続的幸福度を知ることができる。
ハーバード大学人間フラーリッシュプログラムの研究副部長であるブレンダン・ケイス氏は、「日本は、急速な経済発展がもたらすリスクについて警鐘を鳴らしています」と言う。
氏は、日本の出生率の低下、家族形成の難しさ、社会的に孤立している男性の多さなどの問題や、宗教行事に参加する人の少なさが、日本人の持続的幸福度の低さに影響を及ぼしている可能性があると指摘する。
「日本は、過去150年間に経験した急激な経済的、文化的な変革のせいで、持続的幸福の多くの領域で比較的高い犠牲を払うことになったように思われます」
人にとって何が幸せか、というのは、人にとって何が不幸なのかを想像すると同じほどに難しいものだと思う。
私思うのだけど、災害大国日本は「諸行無常」の中に「もののあわれ」を見出し、また、長い年月風雨にさらされて芯が残るようにして本質が生き残ったものを「侘び・寂び」として愛でるような国であって、もともと「持続的幸福」なんてものが有るとは思っていないのかも知れないし、求めてもいないのかも知れんよ。
そんな風土の国だからこそ「一期一会」のようなその瞬間に幸福を見出し大事にしようという思いが生まれるのかも知れない。
そう思えば、断片的な「小さなしあわせ集め」の才能においては案外、日本人以上にその才に秀でた民族というのはいないんじゃないか?と思う。
私の幸せといえば、あゝ種が芽を出したな、今日はこんな花が咲いたな、最近山のウグイスの鳴き方がずいぶん上手になってきたな、日々そんなことの繰り返しであって、誰かが「幸せ」と定義する何かが持続されることなどまったく望んではいない。
だってそういう日々の幸せが一瞬で失われることを経験した福島の民だもの。
