最初に氷河期世代の世代論が出てきたけれど、それは違うだろと思いますよ。

 

私の知る限り、というか私と同じバブル世代でも、うつを発症した人たちというのはその年頃だったように思います。

 

ただ…かつてはうつ病というものに対する認識が今とはまるで違っていたんですよね。「なまけ病」などとひどい言われようをしていたし、労災認定されることも無かったし。皆その状態を恥ずべきこととして自分を責めるばかりで、表面化されなかっただけで実質的な割合は今と変わりなかったんじゃないかと思いますね。

 

私の場合、早いうちに更年期障害が出てしまいそれに付随する形でうつっぽい症状になっただけで、あれがうつであったのかどうか今となってはわかりませんが、しんだら楽かな?と思い、思い立ったらやらずにおれない性分もあり、その時点で相当に重篤だったんだろうなとは思います。

 

何度も同じことを書いて申し訳ないですが、私はそのとき自分に何が起きたか理解しきれず、こんなのは俺じゃないと激しく抗ってしまったんですよね。

 

方向感覚のわからない真っ暗な夜の海に投げ出されてバタバタもがいているうちにいよいよ最後に力尽きかけたような感覚。

 

そして最後に諦めた。なんかもうどうでもいいや、と。その瞬間、死を選択せずとも一気に楽になったんですよ。

 

でもその瞬間まで精神力と体力がもったから良かったようなもので、一歩間違えば猪苗代湖のどざえもんになって福島民友新聞の記事になっていたかも知れないし、本来なら早めに気づいて薬を使っておくべきだったと今になってみれば思います。

 

私は大根の尻尾ぐらいに位置するとはいえ科学者のはしくれだから、自分の深刻な状態をどこか他人事のように冷静に観察していたけれど、やっぱりあの状態になってしまえば考え方を変えてみるとか、哲学に触れてみるとか、偉人の名言に目を通してみるとか、そんなことしてもなんの効果もないんですよ。すべてが苦痛をともなうノイズにしか感じられないのがあの状態なんだから。

 

Your words not mine

 

歴史上の数々の名言も、結局はその人のものであって、他の誰かのものではない。

 

ところで精神科医の井上智介さんはたまにイイネしてくれたりもするのでどんな方なのかと思っていたけれどご自身もそういう経験をなさっておられたんだな。まわりにその状態を理解してくれる人たちがいたというのは私から見ればうらやましい。

 

私なんざ自分の親兄弟にも「お前はなまけもの」「そんなに苦しいならしね」とか言われてましたからね。でも、侮辱されれば何をコノヤロふざけんなと思って奮起するのも私。さすがは血を分けた肉親、そんな私の性格を見抜いてそんな言葉をかけたんだろうなと思うことにしています(んなわきゃねぇのはわかっているけどさ)。