ま、考え方はいろいろあるものだなぁと。
私が好きな言葉にあまりにも有名な「塞翁が馬」というのがあるのだけれど、
人が不幸せを感じるのは何故でしょうね? 私から見れば割と簡単なことなんじゃないかと思いますよ。
「幸せ」を定義付けしてしまうからじゃないですか?
そんなことをしてしまえば、その定義に合致しない「不幸せ」は必然的に発生するものだと思えるんですがね。
それゆえ私はあえて(他者がなにかしら定義するところの)「幸せ」を望みません。
武道の世界では「不動心」なんて立派なお題目が大事にされたりもしますが、ほんとうに不動心を持つ武人というのは私はほとんど見たことがないんですよね。その証拠にほとんどの人は試合の勝敗ひとつで、あるいは驕り、あるいは落ち込み、一喜一憂している。
実力世界の路地裏を知っている人ならわかるかも知れませんが、腕っぷしが強いと知られることは、身の程知らずのどアホに絡まれる機会が多くなることであって、決して喜んでいる場合でもない。むしろどこに喜ぶ要素があるのかと考えるのが真の強者だと思います。
かくのごとく禍福と呼ばれるものは表裏一体しかも同時に発生しているものであって、それを知ってさえいれば、幸不幸の波(と自分で観じているもの)に翻弄されることなんて無くなるんじゃないですかね?