人工知能脅威論を語ってAIを否定するお前らは進歩について行けないクズなの?などとSNSで得意げに語っている連中はエンジニアではなく、AIそのものから最も遠いところにいる「事務系作業員」でしかない。

彼らは果樹園主が雇うピッカー(摘み子)と同じで、果樹そのものについては何も知らなくとも果実を収穫する労働をあてがわれてその恩恵にあずかることはできる。

 

その程度のものだ。

そんな人たちがこういった研究者の指摘を鼻で笑うというのは、それこそ笑止千万というほかはない。

今はまだ不透明かも知れないが日に日に明らかになってくるAIの進歩とその脅威について、専門家の指摘を鼻で笑う彼らのしていることは …コロナは風邪!と言っていた人たちの知的レベルと何も変わるところはない。

 

直接的にAIの開発に関わるでもないいわゆる知識人を見ていると、人並に人語を話す機械、みたいなあたりを人工知能と呼んで称賛している気がするけれど、知性というものは必ずしも言葉を必要とするものでもない。

 

たとえばつる植物は目があるでもないのに自らを保持すべき対象を探り出し、それに触れた瞬間に探すふるまいから掴まるふるまいへと行動を変化させるが、それもまた知性のひとつであるには違いない。

 

 

兵器としてのドローンやナノマシンに求められる知性など、むしろそれでいいのである。なにも人間の相棒である必要などどこにもない。

 

人間が人語を操ることを知性の基準とするのははっきり言えば人間のおごりである。

 

 

むしろ兵器に搭載する人工知能を考えた場合、人知を超えた不気味さ、抗し難い自然、圧倒的な天災を相手にするような恐ろしさこそがその強みになると私には思える。