是々非々。

この人とこの人の政党を推すつもりはないけれど、この人はときどき冴えたこと──というより本来なら有権者が当たり前に知っていなくてはいけないことではあるのだが──を言う。

 

 

下京警察署のポスター。

ドキッ!隙がない!などとあるが、私としては「される方も悪い」に繋がりかねないこの発想にはものすごく違和感を覚える。

盗撮も痴漢も、どう考えても罪はそれを行う側にあるのであって、被害に遭った側がどんな服を着ていたとか、どんな場所を歩いていたとかは、犯罪とは全く関係ないことであるし、ましてやそこに隙があるわけでもなかろうよ。と思う。

 

およそ自己責任論者というものは、己の展開する自己責任論に固執しすぎて日夜他者を責め立てることに余念がない。自分をとりまくありのままの社会を否定してしまっている時点で彼ら自己責任論者というのは誰よりも強烈な「自閉的他責論者」なのである。

 

ここで私の言うありのままの社会というのはもちろん、出来れば同じ天の下で暮らしたくないようなどうしようもない人たちも当たり前にいる社会、である。そのどうしようもないものを折伏してどうにかしようとしたり、排除しようとしても出来るものではない。そして社会とはそういうものなのだなと割り切らない限り、社会や政治の話など出来るものではないと思う。