政治のせいにするな?
— まっくろ助🐾 (@kurosuke_makuro) June 1, 2024
政治のせいですよ。
〝自己責任論〟騙されたらいけない😡#れいわ新選組#山本太郎 さん pic.twitter.com/ob1JO9AfQy
是々非々。
この人とこの人の政党を推すつもりはないけれど、この人はときどき冴えたこと──というより本来なら有権者が当たり前に知っていなくてはいけないことではあるのだが──を言う。
京都駅に貼られた、被害に遭う側が「隙を見せないよう」呼びかけるポスター。性暴力は加害者の問題と提起したとき、「自衛を呼びかけること自体は悪くない」という反応が多くあったけれど、自衛ばかりの呼びかけが被害者の「自己責任論」に直結してしまうことに、発信側は自覚的であるべきだと思う。 pic.twitter.com/VdoQzNPvAT
— 安田菜津紀 Dialogue for People (@NatsukiYasuda) August 14, 2023
下京警察署のポスター。
ドキッ!隙がない!などとあるが、私としては「される方も悪い」に繋がりかねないこの発想にはものすごく違和感を覚える。
盗撮も痴漢も、どう考えても罪はそれを行う側にあるのであって、被害に遭った側がどんな服を着ていたとか、どんな場所を歩いていたとかは、犯罪とは全く関係ないことであるし、ましてやそこに隙があるわけでもなかろうよ。と思う。
およそ自己責任論者というものは、己の展開する自己責任論に固執しすぎて日夜他者を責め立てることに余念がない。自分をとりまくありのままの社会を否定してしまっている時点で彼ら自己責任論者というのは誰よりも強烈な「自閉的他責論者」なのである。
ここで私の言うありのままの社会というのはもちろん、出来れば同じ天の下で暮らしたくないようなどうしようもない人たちも当たり前にいる社会、である。そのどうしようもないものを折伏してどうにかしようとしたり、排除しようとしても出来るものではない。そして社会とはそういうものなのだなと割り切らない限り、社会や政治の話など出来るものではないと思う。