自分の代わりはいくらでもいる」という感覚は、想像以上に私たちの心身を蝕むものかもしれません。
 おそらく、この社会の現実に適応しようとするなかで身につけてしまうのが、自己責任論的な発想です。権力者にとって都合のいいロジックを内面化することで、社会がますます権力者にとって都合のいいものになっていくとしたら……なんとも皮肉なことだと感じませんか?

 

 

ルサンチマンという言葉の本来の意味とそれを用いた哲学者の書いたものに目を通したこともなしに日夜叫び続けるやたらと主張の強い自己責任論者たちを観察していると、彼らには黒と白しか見えてないことに気づきます。

 

彼らの見ている世界にはグラデーションがない。まるで世界が二極構造になっていると信じて疑わない彼ら。彼らを観察していると彼らがかつてスピリチュアルに手を出していたり、今なお宗教的世界観を信じていることに気付かされます。

 

けっきょく、彼らは、神と悪魔、天国と地獄、光と闇、善と悪、そんな歪んだ色眼鏡でしかこの世界を見ることの出来ない人たちなんだなぁと。でも二極構造の世界観というのは彼らが日頃罵詈雑言を浴びせている陰謀論者たちと同じ世界観の中にいるということをよく示している気がしますよ。

 

自責に偏った自己責任論者と、他責に偏った陰謀論者ってたぶん気が合うんだろうな。どう見ても同じ穴のムジナにしか見えない。

 

仲よき事は美しき哉 (武者小路実篤) 

 

(≧▽≦) ぶは

 

ここ数年ネットに飛び交う自己責任という、ある種の信仰でしか無い空虚な言葉はいざ知らず、もちろん自分が持つべき責任というものは誰にでもあって、それを否定するつもりも否定しようもないわけですが、それは人間社会に厳然として存在するヒエラルキーのどの階級の者にも等しく在るものなんですよ。

 

多少有名になったところで、多少出世したところで、多少銭こ貯めたところで、多少権力を握ったところでその責任は誰にも放棄できるものでも無ければ、その重さから逃げていいようなものでもない。上に行けばゆくほどその責任は大きくなり、それを果たさないことで悪影響を受ける人数も多くなってくる。

 

その果たすべき責任を果たさず、カルトとねんごろ、裏金シコシコ、チャイナマネーうはうはなんてのを見て、何やってんだコイツはと思ったりしないというのであれば、多分そういう人たちというのは自分自身の責任の何たるかすら知らず、また果たすこともできない人たちなんだと思っています。

 

この国の現行制度下において我々国民が果たすべき責任は、我々の生活に責任を持つべき人間がその責を果たさずただ飯喰らいしているのを見たら、どやしつけるか、ケツを蹴り上げるか、即座に引きずり下ろすことしか無いんですわ。

 

そこがわからん人は、せいぜい自分が使い捨てのネジであったことに気づく日まで、他責するなぁと叫びつつ好き放題やられて踏みにじられておけばよろしい。

 

そうやって代々卑屈であることでつないできた血なんだから。

 

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お上の考えることに間違えはごぜぇませんだ。
お上の仰ることに間違えはごぜぇませんだ。
お上のなさることに間違えはごぜぇませんだ。
お上に逆らう者はオラたちが許さねぇだ!
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これの現代版が

 

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お金持ちを悪く言うな!
成功者を悪く言うな!
政府を悪く言うな!
お前らみんなルサンチマンだぁ!
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なんだろうと思いますわ。
 

大名行列なんざ立ち見するかメシ屋の窓から眺めておきゃ済むようなものなのに、オラは善い民ですだ!どうぞ見てくだせぇ!とわざわざ道に出て這いつくばってみせる芸をしているのが、SNSでお上のすることにはなにも異を唱えず、不特定多数に向けて毎日毎日やんややんや飽きもせずに「悪いのは国じゃない、お前ら自身が悪いんだぁ」と騒いでいる人たちの真の姿なんだと思いますよ。

 

そんな下賤なにおいのする人らにこの国の歴史や行く末が語れるとは私には思えないんですがね。