私が小学生のときにもスコアがびっくりされるほど高かったそうで、担任と校長がわざわざ家を訪ねてきて両親にそれを報告したらしい。私の兄も同様にスコアが高かったが「神童」と呼ばれた彼よりも私のほうが高かったことから学校としては驚いたようです。

 

しかしそこはうちの両親。ふーん、そうなの?アハハぐらいな調子で聞いて、特に何をするでもなかった。私自身、学校がつまらないとか、まわりがパカに見えるとか、生きづらいなと感じることも無かったしね。そもそも集団生活というのは誰にとってもストレスなんですよ。ギフテッドだからそう感じるというような話じゃない。人間の悩みのほとんどは人間に起因するものです。

 

私の場合のちに最初の勤め先となるブラック旅客鉄道株式会社で仕事していたころもそうでしたが、世の中こういうのが普通で、人間もこういうのが普通なんだろうな、ぐらいに思っていた気がします。

 

世の中そんなもん。人間もそんなもん。というのが幼少以来一貫した私のものの見方で、もし小学生の頃、単なる数字上の判断から私を隔離して変な英才教育みたいなものを施してしまっていたら、少なくとも私はかえって不幸だったんじゃないかとさえ思ってしまいます。

 

なんとなれば、およそ生き物を進化させるものはストレス以外にないわけで、世の中はそんなもんで、人間はそんなもんで、その中で必然的に発生する負荷に耐えられる我が身を作るほどの道を探らない限り、人間というものを知ることは出来ないんだろうと思います。

 

多くの学問は人間とそれが作った社会のことわりを知るためのもので、蝶よ花よと大事にされて肝心要の部分を学ばずに高見の見物しかしてこなかった者が人間社会を前進させるほどのことを成しうるかといえば、…100%無理なんじゃないですかね。

 

最近流行りのギフテッド教育みたいなものは、一見救済のように見えてじつは子どもの可能性や潜在能力を奪ってしまうこともあるんじゃないか、と私などは思ってしまいます。