結局のところ、入居者が孤独死すると家主側の負担が非常に大きくなります。そのため、入居者確保が少々困難になったとしても、事故物件化を防ぐために高齢者に貸すのを避けるしか方法がないのです。
しかし、このような現状は家主にとっても、賃貸を借りたい高齢者にとっても不幸な事態です。人は生きている限り、どこかに住まなければなりませんし、生きている人は誰しも必ずいつか死を迎えます。人が亡くなった場所をすべて事故物件化していたら、この日本に高齢者の住む場所はどこにもなくなってしまいます。
高齢者の増加によって死亡者数が増え、人口が減少していく「多死社会」もすぐそこまで来ています。今後は『死』に対する認識を、日本人は変えていく必要があると私は考えています。

 

 

事故物件(じこぶっけん)とは、広義には不動産取引や賃貸借契約の対象となる土地・建物や、アパート・マンションなどのうち、その物件の本体部分もしくは共用部分のいずれかにおいて、何らかの原因で前居住者が死亡した経歴のあるものをいう。ただし、死亡原因によって事故物件と呼ばないものもあるなど、判断基準は明確に定まってはいない。

 

 

まぁ家主としてはそういう理由から借り手が見つからないというのは商売として厳しい話なんだろうなとは思います。

 

もともと不動産の世界で使われる言葉なんでしょうけれど、もしやと思って調べてみたらそういうものを専門に「お祓い」している自称霊能者みたいなのもいて、なんだかなぁと。

 

洋の東西を問わず死者がこの世に思いを残して化けて出るような話は必ずあるけれど、必ずある話だからといってそれが真実だとは限らない。人間の世界でしか通用しないというのは要するに俗っぽい話なんですよ。動物なんか死期を悟れば淡々と群れを離れて──もちろんそれは捕食者から身を隠す意味もあるのだろうけれど──孤独死を選びますしね。

 

じつに俗っぽい話なのに「天からお役目を授かった」とか「衆生を救済する」とか「浄霊する」などと言い出す聖(ひじり)を気取りたい連中に限って、事故物件には霊がどうのと言い出す。

 

じつに滑稽、どこが聖なんだ。としか思えませんね。

 

霊だのあの世だのがあるのなら、お前さんら、ありもしない概念を押し付けて生きている人間をおびやかした罪で地獄行き決定だよ。さいなら。

 

私が買って今住んでいる家などは廃藩置県の年に建てられたこの地方でも最も古い家屋のひとつだから、何人も亡くなっているだろうと思いますよ。この家には床の間というのがあるのだけれど、この地方では葬儀の祭壇は床の間に飾るのだから、私が今布団を敷いて毎日グースカ眠っている場所にはこの家で亡くなった何人もの方々の棺桶や棺箱が飾られていたんだろうなと思います。

 

私なんぞ孤独死決定組の一人だから、いずれある朝、床から起き上がる力も失せて、一人天井を見上げながら餓死してゆくのかも知れないけれど、だからといってこの世に未練や恨みを遺して逝ったりはしないと思いますね。むしろおさらばできてせいせいしますわ。

 

あとは静かに眠りにつくだけですよ。

 

浮かばれぬ魂だとか、この世への未練とか、そういうことを考えるのは、まだ文字通りの俗世に生きている人だけなんだと思いますよ。