ここ数日、心臓が痛い。

そろそろかな。

 

 

農民は自分ではどうにもできない自然の中で生活を営む。天候のせいで作物が大打撃を受ける。それを耐え忍ぶ。そうしながら、翌年の春に種をまき、秋になって収穫する。それを繰り返す。

 作物だけでなく、多くの木々が裸木になり、草木は枯れる。そして、春になると途端に草木が芽生え、緑が鮮やかになり、花が咲く。まさに大地が生き返る。

 

 

この星に何十億のニンゲンがひしめきあって暮らしていることと、わずかな水たまりにオタマジャクシがうじゃうじゃわいていることの、いったい何が違うというのだろう。

 

だから私は自らの生に意味をもたせようとは思わないし、意味を持たせたり求めるたりするために考えることをとうの昔にやめた。

 

どれほどの小理屈を並べようと、どれほどに身を飾り立てようと、けっきょく私というニンゲンはどこにでもあるただの土くれの一つの形でしかない。

 

そして形ある土くれはいずれ必ずや崩れゆくものである。

 

当たり前のことが当たり前に起きることの何を怖れねばならぬのだろう。