「一説では日本人の8割がACと言われています。深刻な虐待やネグレクトがなくてもACになることはあります。私は、ACというのは古い価値観を引きずっている人と解釈しています。ここでいう古い価値観というのは親から刷り込まれた価値観ということです。生まれたとき、人はまっさらな状態です。成長に伴って、親からの『あれはダメ、これはダメ』『こうして』と言われたことが重なって、『そういうものなんだ』とナチュラルに学んでいきます。これって普通のことですよね。大きなきっかけがなければ、親から受け継いだ価値観というのは引きずってしまうものです。ただ、この価値観が『私に合わない』と気づいたときに、生きづらさにつながるんです。自分がハードウェアで古いソフトがインストールされているとイメージしてください。古いソフトでも動くことはできるけど、無理が出てきたらアップデートする必要がありますよね。ACは病気ではないですし、特別なことでも、絶対治さなければならないことでもありません。ただ、生きづらさを強く感じているならば、その原因を解きほぐして古い価値観をアップデートする必要があると思います」

 

ふーん。そういう世界もあるのかと割と興味深く読ませていただいた。

 

古くとも新しくとも,、何かしら執着して引きずっている人というのは生きづらいんだろうと思いますね。

 

ときどき宗教ジプシー、思想ジプシー、自己啓発ジプシーみたいな人がいて、どこかに救いはないかと、アレじゃないコレじゃないと遍歴を重ねる人がいたりしますが、そういう人って傍目に見る限りどう考えても救われていない。

 

溺れる者は藁をもつかむ、と言いますが、藁が浮くものだと信じている人はそれを握りしめながらゴボゴボ派手に沈んでゆくしか無いんだと思いますよ。

 

私も宗教や思想や哲学なんぞではないけれど一度は捨てきれぬ思い──それは俗に言うところの真善美という実に俗っぽい属性を持つものだったには違いない──にすがったために溺れかけた死に損ないだから思うのですが、沈むのなんていつだって出来るのだから、そこはいっそ頭空っぽにしてあきらめて、力を抜いて、仰向けにぽっかり浮かんでみりゃいいのに、と思ってしまいます。

 

それでどうなるとも限らないけれど、難を逃れるすべを考えつく余裕があるかも知れないし、少なくとも沈む覚悟をする時間ぐらいは出来るわけで、なんも藁なんぞにすがって一緒に沈んでやる義理なんざどこにもない気がしますね。