マイルドな形にアレンジしたい場合
元々のお話では、たぬきがおばあさんを殺してしまうどころか、料理して「ばばあ汁」にしておじいさんに食べさせてしまうという、かなり残酷な場面が含まれます。「たぬき汁」にされそうになったたぬきがおばあさんを「ばばあ汁」にするというのは、話の構成としてはあり得ると言えますが、子どもに話しにくいかもしれません。
さらりと言ってしまうのもひとつですし、あるいはその部分はカットしてもよいでしょう。おじいさんの「たぬき汁」云々のセリフは無くし、たぬきはおばあさんを倒して(殺して)逃げ、帰ってきたおじいさんがおばあさん(の亡骸)を見つけるという展開にしてみてください。

 

この場合は、もし読み聞かせる側がそれを残酷だと思うなら、という条件付きであるけれど、一時期内容を著しく改変した絵本が出回っていた記憶があります。

 

ひどいものでは最後にタヌキが反省して爺さんもそれを受け入れて大団円というふざけたものもあった記憶が…。

 

 

同じ昔話で有名な「さるかに合戦」などは、カニのお母さんが猿にころされ、子ガニに同乗したいろんなものが助力して最後に臼(うす)が猿を押しつぶしてころし、そこでめでたしめでたしになっていたはずが、今ではカニのお母さんはケガだけで済み、猿は親子のカニに謝罪して、みんなで仲良くおいしい柿を食べた、なんて話になっているものがあるそうです。

 

 

 

【池上】元の話のように、前半の「事件」の残虐性、被害者の悲惨さを強調するのは、刑事ドラマなんかと同じですね。「胸のすく」後半への伏線なのでしょう。

 

ほんとにそれだけなんでしょうか。私は案外こういった子どもに聞かせる昔話の残酷さには意味があったように思っていますし、必要なものだったのではないかと思っています。

 

物語ではタヌキや猿になっているけれど、自分ひとりの利益のために平気で他者の命を奪うような犯罪を犯す人間というのは、それを悪いことだと認識できないからやるんだと思いますよ。実際、調べてみると被害者や被害者の家族に対して法廷で罵詈雑言の限りを尽くして侮辱しながら死刑になった人間というのは割といます。

 

私の知り合いで教誨師をしていた坊さんなどは、凶悪事件の犯人がその時だけは涙を流して自分の行為を悔いるのにシャバへ出るとまた何の迷いもなく罪を犯すのを見て自分の非力を感じて辞めたと言っていました。要するに彼ら凶悪犯は初めらそれを罪だと認識できる生き物ではないと。

 

そういうものがいるのだ、と知っておくこと、また教えておくことは、人間同士言葉を尽くし合えばほんとは仲良くやれるんだ、などというウソを教えることよりも大事なんじゃないですかね?

 

この世界は悪意に満ちている、という単純なことに気づけない人たちが、悪徳宗教や高額スピリチュアルや陰謀論に走るのを見るにつけ、人の悪意や残酷さを知らしめるそういう幼児教育というのも必要なんじゃないかと私は思っております。

 

もちろんこれはあくまで私一人の考え方にすぎず、また、私は私という人間が必ずしも正しいことを考えたり言ったりできる生き物だとも思っておりません。ただ私はそう思った、というだけのことなのであしからず。