私は法家の説く性悪説は正しいと思っている人間で、偏見や差別というのは誰の中にも在るものだと思っています。

 

もちろん私の中にも在ります、しかも人並み以上に烈しいと思う。

 

それゆえ、それ自体を責めるつもりはないし、何をどう思うのも自由だと思っています(もちろん私のことを嫌いでたまらない人が私を見てアノヤロ・・・と思うことを含む)。

 

肝心なのはそれを人前で口にして良いものかどうかの判断力であって、それのない人というのはやっぱり鍛え方が足りないんだと思いますよ。

 

特に何かを褒めそやして持ち上げるために、何の関係もない何かを比較対象として持ち出してきて貶める、というのは、田舎の因業ジジイがよくやる話法であり、ムラの鼻つまみ者まっしぐらの道だと思いますね。

 

もちろん、差別や偏見を理性で抑えるというのは理想論でしかないけれど、少なくとも県民のみならず日本国民は県知事という生業の人がこういった発言をすることを快く思わなかった。そのニーズを強(したた)かに捉えきれていなかったあたりが、私には戦略眼が無かったとしか思えないんですよね。

 

戦略眼が無いというのは要するに未来を見ていない。物事を先へ進められない。その場しのぎ。行き当たりばったり。そういうことですよ。

 

自分の身ひとつ守れない軽佻浮薄な人間が、どうやって自分が守るべき人々を守れると言うんでしょうね。それゆえ舌禍の徒は人の上に立つ器としてはありえない。と私は思っています。