脳科学者の茂木健一郎さんが私の故郷であるいわき市平を走っている動画をSNSで見ていたのだけれど、さすがに20年近く実家以外のところを見ていないのでいわき駅前周辺もすっかり風景が変わっちゃったんだなぁと浦島太郎のような気分で拝見させていただいた。

 

動画の中で気になったのが「万本桜」

 

 

いわき万本桜プロジェクトは2011年3月11日に起きた東日本大震災と原発事故の教訓を後世に伝えていこうと始まりました。

 

なるほどね。こんなことやってたのか。

 

私自身は災害対応の仕事に終りが見えず半年近く岩手に缶詰になってたから発災当年の桜は見れなかったけど、福島に帰ってから皆が異口同音にこういう言葉を発するのを聞きましたよ。

 

「あれほど悲しい桜は見たことがない」

 

私が今住んでいる隣町にある三春・滝桜を見に行ったのは翌年だったけれど、足の踏み場もないほど混雑していたのがウソのように閑散として、なるほどこれは悲しい桜だと感じたのを思い出します。

 

 

もちろん悲しい桜なんてものがあるわけもなく、見る人の悲しさなのだろうけれど、賢(さか)しらに傲(おご)った人間によって穢された土地で、それでも花を咲かせようとする無垢な命の営みに、私のような感情に乏しい人間ですら心が震えなかったと言えばウソになります。

 

ところで茂木氏、おそらくはいわき駅で見知らぬオジサンに「知ってる人?」と声をかけられてなんだこれはと戸惑ったらしい。

 

いわき市民は軽薄多弁。と、よく言われるように、理性のタガが外れて己の行動を抑制できないデレスケが結構な数で生息している。

 

有名な喜劇俳優の柄本明氏がいわき市で講演(公演ではない)したときも、TVや映画でパカなことをやっているイメージをそのまま真に受けてふざけた野次を飛ばしたデレスケがいて、さすがに柄本氏も怒り心頭に発してパカヤロウ!と怒鳴りつけたあげく講演を切り上げて帰ってしまったということがあった、

 

そういう軽薄さ(というかイケイケパカ軽いノリみたいな部分)がいわき市民の特徴(私の育ったいろんな土地から人が集まって出来た炭坑町はちょっと違っていたが)であって、当然、私のような軽挙妄動を嫌うタイプの人間は…浮きまくる(^^; そんな故郷を愛しているかといえばサッパリ愛せなかったから離れたんだろうとは思う。

 

ふるさとは遠きにありて思うもの、と室生犀星も詩にしていた気がするし、イエス・キリストも故郷では大事にされないとしてナザレを避けていた記述が聖書にあった気がする。郷愁はあくまで虚像であり、故郷というのはポエムにしてしまうぐらいでちょうどいい土地なんだと思う。