7年前から始まったという迷惑行為。最初は柿本被告が住む階で、夜中に大声で叫ぶなどの行為だったといいます。中でも攻撃の対象になったのは、柿本被告と同じ階に住む男性。柿本英雄被告から「あなたの娘を絵のモデルにしたい」と相談されたといいます。

被害者
「娘に聞いたら即答でいやだって。断ったら、それがきっかけだったと思います」

画家の柿本被告は、普段から住宅のエレベーターホール前のスペースで絵を描いていて、苦情が相次いでいたといいます。

 

そして、通りかかる人に「この絵どう思う?」と、頻繁に絵の評価を求めていて、思い通りの評価をもらえないと怒りをあらわにしていたといいます。

被害男性が娘の絵のモデルを断った後、行為はさらにエスカレート。風呂場をのぞき込まれることも多々あり、黒い布で覆う工夫もしていました。

住民の通報で警察がかけつけても、「バカ! アホ!」と警察に暴言を吐いていました。

 

 

この人かな? (・ω・`)

 

 

 

 

ふーむ。なにやら医療ミスで気の毒な目に遭っていたのはわかったけど、なんでまたお寺に修行に行ったりしちゃったのかな。しかも絵は独学だそうで、割と無名の作家の作品でも世間に知られる以前に絶賛したりする私が見ても …これはちょっとね。

 

それより何より外見。

 

なんだか出どころがよくわからん自称・千二百年の歴史を持つ古武術を伝える武術家というオッサンがいて、この人と同じような長髪・ひげ・数珠という漫画チックなスタイルをしているのだけれど、独学の人たちって自分自身に「この職種の一流ならばきっとこういう風貌をしているに違いない」という(盛大な勘違いに基づく)呪いでもかけているんでしょうかね。

 

手に持っている扇子に描かれた「一心不生」というのは「一心不乱」の間違えではなく、禅語ですね。私もいとこの嫁はんの実家が曹洞宗関東管区長やっていたお寺さんだったりしたのでちょこっと知識がありました。いろんな解釈をする人がいるみたいですが、私は禅の坊さんからこう聞いています。すなわち、感情を喜怒哀楽に分けたりせず一つに統合できるなら何かが生じているように観ずることはないしそのことによって動ずることもない。と。これは私のよく言うところの「死せる心」であり、多くの武芸者が耳学問で知って口の上ではなんとでも言いがちな「不動心」の本質をうまく衝いたものだと感心しながら聞いたことがありますよ。

 

ま、この画家さんはカッとなる人だったみたいだから、そこから一番遠い人だったんじゃないかと思いますけどね。あるいは感情を制御できない人だと看破した修行先のお寺さんがこの人に送った言葉だったのかも知れませんが。