林准教授に「今、集団移住の話をするのは不謹慎だと思いますか?」と尋ねてみた。
「確かに、いまだ安否不明者もいるし、車内で生活している人もいる。不謹慎というよりも、まずもって話が届かないと思う。水は?電気は?仮設住宅は?と、それどころではないだろう」
「でも、腰を据えて『さあどうしようか』という瞬間が近々来るはずそのくらいで話し合うのがベターではないでしょうか。集団移住を選択するにしろ、しないにしろ、住民の合意が大切であり議論を避けて通ることはできません」

 

私もあの米山とのやりとりを見ていたが、あれを「論破」と言ってしまえる人たちの気がしれない。日本人の大多数って頭いいようなふりばかり得意でホントにまるきり議論のできねぇ人らなんだなと暗澹たる思いがした。

 

あのときの、ひろゆきの主張は「発災直後で焼け出されている被災者がいる今の状況下でそんな議論をする必要があるの?」という点であり、限界集落の温存がどうのとかコンパクトシティがどうのとか、そういうお題について議論をしていたわけでもなかったはずだ。それはこの先生がこの記事で言わんとしていることと同じであるし、私が当時「今する話じゃねぇよ」というタイトルで書いた内容のとおりである。

 

はじめから話が噛み合っていないところに論破もクソもあるもんか。

 

そもそもこの議論には、人口集約化の政策を是とする根拠となるだけの数字が必要不可欠なはずだが、そんな集落は取り潰せ、集団移住させよと他人事ゆえに楽しげに言っている人たちが示すところには「復旧に莫大な費用が」「インフラ維持に莫大な費用が」という極めて曖昧で感覚的な「莫大な」という言葉しか出て来ず、集約化を是とする根拠らしいものは一切見られない。じつは数字はすでにある(破壊による被害想定の算出だけが我々「死神」の仕事じゃないのでね)し独占されるような情報でもなくネットでも見られるものなのだが、ただ単にどこか遠い土地の他人が途方に暮れるさまを見て気持ちよくなりたい人たちにはその数字を嗜虐フィルタを通さずに正しく読むことなんて出来やしないと思う。

 

いずれにせよ、この議論は現代の栄華の都がひとつ阿鼻叫喚の地獄に落ちて、そこに住む民がどうなるか見極めてからでも遅くはない気がする。やるなら明後日。将門公の命日ですな。(なお、このくだりはきわめてたちの悪い冗談につき読み飛ばされたし)