コロナ罹患による自宅軟禁2日目。

 

自分としてはとっくにピークを過ぎた気がするのだけれど、あちこちばらまかれると困るから家にこもっておれ、という意味ならばそうするほかはない。

 

さて。

 

 

これは私の考えに過ぎずひどい極論に過ぎないかも知れないけれど…

 

パカだから。じゃないですか?

 

パカのパカたるゆえんはとことん主観的でしかない点に尽きると思いますよ。

 

以前、中学高校の剣道の試合によくある風景について書きましたが、会場に来るときには与太者のように肩で風を切ってガニ股歩きで入ってきて、互いに顔を見合わせ、赤の他人である他の剣士たちをにやけヅラで指さして「あいつは弱そう」「俺はこんなに鍛えてるから負けるわけがねぇ」などと笑いながら見くびったあげくに、いざ試合では簡単にボロ負けして、帰るときには男のくせにべそべそ泣きながら帰ってゆくような救いようのないデレスケが割とよくいることを書きましたが、それと同じだと思いますね。

 

 

あいつは弱そう (テメーでそう思ってやがるだけで何の根拠もない)

 

俺は鍛えているから強い (テメーでそう思ってやがるだけで何の根拠もない)

 

要するに相手にレッテルを貼って他者を見下したがる人間というのはうぬぼれを核にして自己完結しちゃってるんですよ。外とのつながりがない。まさに井の中の蛙。

 

でも、厳しい現実社会はそういう慢心をたやすく打ち砕きます。だってそういうやつが泣きを見るのをみんな楽しみにしているんだもの。

 

古今東西、名を成した武芸者というものは世の人々が期待するような高潔な人格者どころか気安く挑んでくるものを不具者にせずにはおれないほど神経質だったりしましたが、彼らの狂気じみた神経質さがどこから来るのかと言えば、…今ふうに言えば自己肯定感の低さ、だったと思いますね。

 

臆病に見えるものだし実際に臆病なんですよ。本当に強い人たちってのは。

 

もし彼らがちょっとしたことでたちまち自信をつけられるような楽観的な人間だったとしたら、人が百遍で済ますような(なるべく避けて通りたい地味で見栄えせずカッコよくもない)基本動作を千も万も繰り返すようなことはしなかったと思います。

 

これじゃダメだ。まだダメだ。今の自分じゃダメだ。こんなことは他の誰もが当たり前にできることであるに違いない…。

 

そんなふうに自分を低く見て、これでもかこれでもかと自分を追い込んで鍛えているからこそ、いざ誰かと対峙したとしても相手を見下したりはしないし、できない。それが武人にとっての常在戦場の心構えなんだろうと思いますよ。

 

そういった一見臆病そうに見える人の強さに気づける、先天的に武人のセンスに恵まれたごくわずかな強者がその人に感じ取るのは「底が見えぬ怖さ」であり、「油断ならない気配」です。

 

これは武芸の話にとどまらず、仕事においても人間関係においても言えることなんだろうと思いますね。もちろんSNSなどネットでのやり取りにおいても、です。

 

他者に対するリスペクトと自分の言動に対する慎重さが垣間見えず、やいのやいのと人を見下して喜びがちな人たちというのは、どれほど立派なご意見ご高説を垂れ流してみせようとも、それこそ肩で風を切っていたくせにべそべそ泣きながら社会という名の会場を後にするしか無い万年負け続けのガキンチョのような人々なんだろうと思っています。

 

たった一度、百年に満たない人という生き物の命。ガキンチョのまま終わるなんてもったいないことだと私には思えるんですがね。

 

 

曲は「最果てのパラディン」から女神