メッセージからこういう人についてどう思われますか?というのをいただいたのですけど、なんで私に聞くかなかぁというのが正直な感想です

(;^_^A

 

私もよく知らない人だったのでどんなもんか動画なども見つつ色々調べてみたらオカルト批判的なことをしている人みたいですね。でも自分もオカルティスト、というあたりが笑うしかない気がします。

 

 

 

 

 

 

ふむふむ。なんかどうでもいいや (;´∀`)

 

ま、ぶっちゃけ興味を持てませんでしたが、動画を見て声の調子と言っている内容を聞く限りでは、ひどく神経質で、かつ折伏(しゃくぶく=教化)癖のある人なのかなとは思いましたね。

 

こういう感じの人ってSNSの顔本やつぶやき界隈にはザラにいて、とくに脱スピリチュアルを宣言した人たちには今なお日々そういうものについて激しく糾弾している人たちがいますが、そういう人というのはスピリチュアルを捨てて何をしているかと思えば、代用品で遊ぶことにはまりこんでいる人が多いのですよね。それは哲学だったり脳科学だったり禅だったり筋トレだったりといろいろですが、私から見るとそういうのは、皆との砂場遊びに飽きて少し離れた場所で一人遊びをするようになって、自分はアイツラとは違ってもう大人になったのだと勘違いしている子どものように思えます(精神的成長の過渡期というのは誰しもあるだろうし私はあえてそれを責めようとは思いません。はたち過ぎた人にそれを指摘するのは気の毒ですし)。この占い師さんにもそれと同じ匂いがする気がしました。

 

悪魔の証明、というのはよく知られるところですが、オカルトを完全に否定するって案外難しくて、存在しないとされるものについて、そんなものは存在しない!と証明したがるのは初学の人の陥りやすい、きわめて稚拙なミスなんですよ。だからこそ、老練な科学者である大槻先生は宜保愛子についても江原啓之についても「とどめ」は刺さなかったんだと思いますね。そしてそれが正しい「批評」というものだと思います。

 

人は全知を錯覚した瞬間に、おのれの無知を外に向けて証明してしまうものなんですよ。だから真の賢者たちはそれをしない。

 

俺の言っていることは正しい、俺の見ている世界がすべて、俺の考えが理解できないやつはパカ。お前はパカすぎて俺の話を理解できないエトセトラ。でも、それってそういう人たちが見下している陰謀論者やカルト信者の精神構造といったいどこらへんが違うんでしょうね。鏡を見よ。とさえ言いたくなります。

 

そもそも大槻先生を科学の世界へ導いたのは彼の故郷である宮城県角田という東北の田舎での火の玉目撃や、瞽女(ごぜ)、拝み屋といった不思議な人々との遭遇であり、そういうものに対する「なんだこれは」という好奇心のない人間というのは科学には致命的に向かない屁理屈倒れの人だろうと思っています。

 

(小川芋銭 「狐隊行」 1930年)

 

そういう点において自ら占い師という商売をしつつ「そんなものに興味を持つやつはパカ」と言い切ってしまうこういう人たちというのは、私から見ると盛大にブーメランを放つ、ナントカのきわみみたいな人としか思えません。

 

なお、私は宗教やスピリチュアルやオカルトや都市伝説や陰謀論について、なんじゃこりゃギャハハ、と茶化すことはあっても、誰かに対してそんなものやめとけと啓発することもしなければ、そういったものを語る人を誹謗中傷することもしないし、それ自体について完全に否定するために論破してやろうなどということもしません。

 

少なくともそんな幼稚な遊びをする気がしない。

 

 

それを信じたい人の手からそれを(少なくとも無傷では)奪うことができないことをよく承知しているし、私にそれを奪う権利など無いことをよく承知しているが故です。立派なこと言ってるようでじつは単に海千山千の老獪さがそうさせているだけのことですが。