うーん。こういう話はよく聞くけど、しにたい、ではなくて、消えたいんですよね。
あゝたぶん私もそのての人間ですわ。私なんぞ10代どころか「つ」で数えられるうちからそんなだった気がするなぁ。
幸せなときにも、恵まれているときにも、何かを勝ち取っても、敵を打ちのめしたとしても、どこか漠々とした虚しさがあって、満たされない。
だからといってそれを嘆くというわけでもない。生きづらいなと思ったこともない。ただそうだ、というそれのみなんですよね。
虚無的だなんて言われたりもしましたが、自分がそうだとしたら、ひょっとして虚無的というのは諦観しているどころか逆にものすごーく…欲が深いことなんじゃないかと思ったりもします。そのほうが納得のゆく部分があるんですよね。私的には。
ほらこれが幸福というものだよ、これが勝利というものだよ、ほらこういうのって楽しいでしょ?と世間で言われているもののほとんどが、たぶん私には価値あるものに見えないんだろうな。少なくとも魅力を感じない。
けっきょく何を求めているかわからないまま、モノクロームの世界を気を紛らわせるように生きてきただけ。
何かしら夢中になっているうちは余計なことを考えなくて済みますからね。
こまごまとした目標を一つ一つ達成してゆくことが幸せへの道、なんて話も聞くけれど、私としては目標なんて要らない気がしています。たぶんそこにたどり着いてしまえば新たな虚しさを得るだけでしょうから。
なんせ底が見えないほどの欲張りなわけだし。
自分自身に求道者だなんて立派な言葉を使うつもりもないけれど、求道者であるならば道半ばで野垂れ死にすることこそが正しい道なんじゃないかと思ったりもしています。
いや、案外そんなことを考えること自体が虚しいと気づいているからこそ、日々ばたばたと働いてパカやってガハハ笑いして生きてゆけているのかも知れませんね。