とりあえず最初にぶちまけておくと、私は出世どころかなるたけそういう階層社会との縁を断ち切ろうとして山奥に居を構えて暮らし始めたような「本物の隠者」であって、こういう話について立派なことを言えるはずもないことをお断りしておきます(;^_^A

 

 

(あっちゃこちゃ抜粋)

 

しかし「おれは社長になるぞ」と言って社長になった人はいないし、「おれは部長になるぞ」と言って部長になった人もいません。
要するに、出世することを目標にして出世した人はいない、ということです。もちろん、すべてに「まったくいない」ではなく、「ほとんどいない」と読んでください。声に出してそれを実行する人は「いない」ということです。

 

では、どういう人が出世するのか。
懸命に仕事をする人です。

 

懸命に仕事をして、周囲の人が、「あの人は大したものだ。しっかりしてるよ」とうわさする。
社外の取引業者の人たちからも、「おたくの○○さんはすごいね。言われたこときちっとやってくるね」という評判がたてば、その人の出世はほぼ間違いありません。

 

愚公山を移す、なんて故事もありますが、まぁそうなんだろうと思いますね。私はどういうわけか珍しく策を弄しもせずに出世頭と呼ばれていたりもしたけれど、たぶん愚直だったんだと思います。だからずいぶん目上の人には目をかけていただいた。

 

愚直であること。たぶんそれが一番大事なんじゃないかと。

 

まわりのおかげで今の自分がある。それがわかるようになったのは、とは言ってもまだ三十代前半の若いころですが、自分がその部署の長になったときだったと思います。やっぱり教え育てる側になれば愚直に悩みつまづきながらもひとつひとつ仕事をものにしてゆく人間を見ているのは楽しい。私は家庭というものを持たなかったけど案外、次の世代を育てるという意味では子育てと同じなんじゃないですかね。

 

自己アピールしようがしまいが、あなたの本当の実力は周りがちゃんと見ています。隣の人間の実力もわかっています。

あなたの能力は他人が評価するものです。自分で評価するものではありません。
自分の評価はだいたい過大になりがちです。
「自己評価は他人の評価の2倍くらいになる」ぐらいに考えておいたほうがいいでしょう。
会社でも役所でも、組織というのは、実は本人が思っている以上に、その人のことを正しく判断しているものです。
多少の上下はあるにしても、プラスとマイナスで平均化され、現実とほぼ一致する評価に落ち着いていくのです。

 

SNSの成功者のプロフィールにはやたらとてんこ盛りしたものがあったりしますが、私はそういう部分についてはまず見ませんね。その人の発信するものでだいたいその人の人となりと品格というのはわかってしまう。自己申告は当てにならない。

 

世間では底辺職みたいに言われている仕事をしている人でもホーッと驚嘆するような人物もいれば、一流大学を出て一流企業に勤めて独立して今じゃCEOやってる人間のクズなんてのもザラにいたりする。本当に自己評価と言うのは当てにならんものだなと思ってしまいます。

 

だから思うし、こんな僻地までわざわざ足を運んで話を聞きに来るもの好きな若いもんによく言いもするんですよ。

 

「評価なんて人に丸投げしときゃいいんだよ」

 

と。好きに言わせておけばいい。

 

自分はどう評価されてるだろう。きっと俺はこんなふうに違いない。もっと評価されるために何をすればいいんだろう。 …そんなくっだらないことを考え、あげく悩んでいるヒマがあったら、評価なんか知ったこっちゃねぇや好きに言えと目の前のことに愚直に打ち込んでいたほうがいい。そのほうが疲れずに済むし、よほど気楽で自由でいられる。 …と私は思っているですよね。

 

ま、すでに隠者から仙人に変質しかけてしまっている私にとっては、世の人が何を考えどう生きようが、ぶっちゃけ知ったこっちゃなかったりもするので、わざわざ自分から人にそれを説いて理解・共感してもらおうなんて気はさらさらねぇわけですが。