ま、似たようなニュースは何度も取り上げてきたので内容はどうでもいいとして、このてのニュースはコメント欄が割と興味深くて目を通しています。

 

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多くの歴史的な宗教が自殺を禁止していることからも分かるように、人類にとって自殺は非常に身近な問題なのよね。決して現代病などではない。本質的な解決というのは不可能だと思うが、その要因を一つでも多く取り除いていく努力は絶え間なく続けていく必要があるだろう。
ただそれが上手く機能しているかを実際に検証するのは非常に難しいと思う。それが医療であっても宗教であっても。

 

<返信>

実際、自殺を罪とみなして明確に禁じているキリスト教圏やイスラム圏は自殺率かなり少ないですからね。それに対して日本ではそういうのを諫める明確な基準がない、そういうのも高い自殺率に影響を及しているのあろうか。

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恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励してその期待に答ふべし、生きて虜囚の辱を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ
( 戦陣訓 /本訓 其の二、第八 「名を惜しむ」)

 

戦時中の有名な戦陣訓(1941)のくだりである。

 

「恥を知る者は強い。常に故郷と家の面目を立てることを考え、頑張ってその期待にこたえよ。たとえ捕虜となっても生きて辱めを受けたりせず汚名を残さぬためにシネ」

 

私がこれについて軍国主義うんぬん言うつもりはない。思うにこれは軍国主義どころか日本人の、というよりは、平和な江戸時代に作られた、武士がその誇りを保つためだけに生まれた「りゃんこ武士道」の精神が、明治・大正の50年を経てもなお抜けきらなかったものだと考えている。

 

愚か者は常に過去に素晴らしい理想的なもの(黄金時代)や精神があったと考えがちで、江戸期のりゃんこ武士道のようなものに憧れるのもそんな考えから来るものなのかも知れないが、戦国時代までは泥水すすり草を食んでも、敵方である他家に敗北し取り込まれても、屈辱に耐えてでも生き抜くことが武士たる者の生きざまであり、生き抜くことが誉であった。みっともなくともとにかく生き残ることが勝ちだったのである。

 

花は桜木人は武士。武士は食わねど高楊枝。のような、カッコつけて潔く散ることを良しとする平和な江戸期に生まれた気取りすぎの「お花畑りゃんこ武士道」が300年の間に日本人に与えた影響は大きかったということかも知れないが、その悪風がいまだに日本人のうちに根付いていて、生きていてもカッコ悪いからもう死のうかな、という思考に至らしめているとすれば、あるいは、なんでそんなになってまで生きてるの?もうしねよ、という発想を生んでいるとすれば、なんとも残念な話としかいいようがない。

 

まぁそれはいい。

 

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最近非常に辛く、精神状態が悪かったです。
そんな時に頑張れなどという言葉は殆ど心に届きません。何故ならば既に自分の限界近くまで頑張っているからです。
頑張ってしまうから現状に至っているからです。
だから、私が大事だと考えるのは辛く苦しい環境から【逃げる勇気】を持つ事です。立ち向かう必要もありません。乗り越える必要も無いのです。
それを【弱さ】と捉える人もいるかもしれません。
しかし、強くあろうとした結果が死では意味を成しません。
私は死を意識をしている人がいたら、【大丈夫逃げていい、決して恥ではない】と伝えてあげたいです。

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私は高校時代は陸上部にいたのだけれど、競技場でギャラリーから割と人気のある可愛らしい女の子に「○○君がんばってー♪」と声をかけられた瞬間…怒りが抑えきれなくなった(おかげで暗黒面の力で?県陸連の記録を塗り替えることができたが)。もちろん言った本人には悪気が無かったのだろうけれど、そのときは頑張っている人、頑張ってきた人に対する最大級の侮辱でしかないように思えた。(こんな性格だから最終的にもてなかったんだな俺は)

 

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現役でうつ病治療を受けている者です。自殺願望はあまり強くなかったと思っていますが、自傷行為は複数回あります。うつ症状を自覚したときにも幸い私は周囲にSOS信号を送ることができましたが、なかなか理解を得られなかったもどかしさは今も忘れられません。(正論で励まされることが多かったので辛かっただけで、心配してくれた方々には感謝しています。)
今は治療が功を奏し、抑うつ症状や自傷行為も減ってきていますが、それでも発作的に抑うつ状態になることはあります。
悩みの中身なんて人それぞれで、第3者には理解してもらうのはとても難しいことだと思います。松本先生が言うような考え方が醸成されて行って、大人も子供もSOSサインが出せる環境、周囲が適切に受け止められる環境が整っていくことを願います。

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たぶん、希死念慮というものは十派一絡げに語れるものでもないのだと思う。以前書いたが、人から見ればどうしてそんなことで悩んでるの?と思うことが、その人にとってはこのうえなく苦しくて痛くて仕方ない思いだという場合もある。

 

社会的経済的成功者の不可解な自殺というのも珍しくないし、知能が高すぎたと評された芥川龍之介などは「ただぼんやりとした不安」という理由から自死を選んでしまっている。人間の苦しみなんてどこにあるかわからないし、どこにでもあるんだろうと思わずにいられない。

 

だから私はこの件に関しては滅多なことを言わないようにしている。

 

特に精神論や哲学的なものでは重篤なうつ症状のようなものはどうにもならない気がする。いろんな悩みや苦しみがトリガーになってうつを引き起こすことはあっても、うつの段階まで行ってしまえばもはや誰の名言格言であろうともはや耳には届かない。

 

だからこそその悩みや苦しみがうつを引き起こす前にどうにかなるような思想や思考法があればよいと、かつて自分自身が苦しんだ経験から思いもするけれど、いまだにそういった人間の根本的な苦悩を解消するようなものを見たことが無いのもまた確かである。個々の苦しみの在り方がそれぞれに違うのだから誰にでも効き目がある思考法というのは無いのかも知れない。

 

この分野は本当に難しいものなんだと思う。

私にはまだ何もわからない。